「さわやかイレブン」「やまびこ打線」の池田高校
1970年代から1980年代にかけて「やまびこ打線」を擁して一世を風靡した徳島県の池田高校。初めて甲子園に姿を現したのは1971年夏の選手権だ。初の甲子園は2回戦敗退に終わり、大きな実績を残すことはできなかった。
池田高校の名前が全国に轟いたのは1974年春のセンバツだろう。この年の池田高校はベンチ入りメンバーが11名しかおらず「さわやかイレブン」と呼ばれ注目を浴びた。
11名のメンバー達は、函館有斗高校(北海道)、防府商業高校(山口県)、倉敷工業高校(岡山県)をくだし準決勝へ進出。準決勝でも和歌山工業高校(和歌山県)を2-0と接戦の末に下し決勝へ駒を進める。決勝戦では強豪の報徳学園高校(兵庫県)に1-3で敗れるも、見事に準優勝を飾った。この大会は金属バットが導入される前の、最後の大会となっている。
以降、1979年夏の選手権でも準優勝を飾り、強豪となった池田高校。1982年には畠山準選手(元大洋他)、水野雄仁選手(元巨人)を擁し、初の全国制覇を達成。翌春のセンバツでも畠山選手がプロ入りして戦力ダウンは免れなかったが優勝している。史上4校目の夏春連覇を達成した。これ以降、「夏春連覇」を達成した学校はない。
池田高校は甲子園でこれほどの実績を残していたが、1992年夏の選手権以降、甲子園から遠ざかっていた。その池田高校が2014年春のセンバツに27年ぶり(夏の選手権からは22年ぶり)に出場し、話題を呼んだ。
「さわやかイレブン」「やまびこ打線」で甲子園史に名を残した古豪復活を期待したい。
ウエイトレーニングの元祖!沖縄水産高校
1990年、1991年と大野倫選手(元ダイエー他)を擁し2年連続準優勝に輝くなど1980年代から1990年代で沖縄県のトップに君臨していた沖縄水産高校。その当時、監督を務めていたのが栽弘義(さい ひろよし)氏だった。
栽監督は1980年に沖縄水産高校の監督に就任すると、金属バット時代の高校野球に対応するため、ウエイトトレーニングを取り入れた。1980年代は2017年の現在とは違い、ウエイトトレーニングが一般的ではなかった。栽監督は米軍基地を訪れるメジャーリーガーが筋トレを行っているのを目の当たりにしており、すぐさまチームへと取り入れている。
その成果が1984年夏の選手権初出場だ。ここから5年連続となる甲子園出場を果たし沖縄県の強豪校へと成り上がった。(※1984年は謹慎処分を受けており監督として出場を果たしていない)
1990年、1991年と2年連続準優勝を果たした後にも、4度の甲子園出場を果たしているが、2回戦止まりである。最後の甲子園は1998年夏の選手権となる。すでに栽監督は鬼籍に入っているが、再び甲子園の地に沖縄水産高校が姿を現すことに期待したい。
「広商野球」の復活なるか!?広島商業高校
2015年にトリプルスリーを達成した柳田悠岐選手(ソフトバンク)、広島の監督も務めた達川光男監督など多くの卒業生をプロ野球界に送り込んでいる広島商業高校。その負けない野球、伝統を重んじる姿勢は「広商野球」とも呼ばれ、広島県の高校野球界を永らく引っ張ってきた。
2017年春のセンバツ終了時点で春21回、夏22回の出場を誇り、優勝も合計7回(春1回、夏6回)と全国的にも名門校であった広島商業高校。
1973年春のセンバツでは「怪物」江川卓選手擁する作新学院高校(栃木県)と準決勝で対戦。達川選手ら広島商業は徹底してファールで粘る野球を見せ2-1で勝利。みごとに「広商野球」で「怪物」を下している。この大会では準優勝に終わったものの、同年夏の選手権では5度目の夏制覇。
1988年に6度目の夏制覇を飾った広島商業高校だが、その後は伸び悩む。2004年夏の選手権に岩本貴裕選手(広島)を擁し、出場を果たしてから10年以上甲子園から遠ざかっている。広陵高校、広島新庄高校と強豪が揃う広島県ではあるが、「広商野球」で再び輝きをもう一度見たい。
四国四商の一角・松山商業高校
「四国四商」と呼ばれた高知商業高校(高知県)、徳島商業高校(徳島県)、高松商業高校(香川県)、松山商業高校(愛媛県)。その4校の中で最も甲子園で優勝を多く経験しているのが松山商業高校だ。
2017年春のセンバツ終了時点で春のセンバツ16回(優勝2回)、夏の選手権26回(優勝5回)を誇る。また、甲子園通算80勝(春20勝、夏60勝)と四国だけでなく全国的にも有数の強豪校だ。
1996年夏の選手権決勝の熊本工業高校(熊本県)戦では延長10回裏に「奇跡のバックホーム」でサヨナラ負けを阻止。翌11回表に3点を奪い優勝を飾っている。この試合のメンバーは両チームとも交流があり、2016年にはOB達によるチャリティーマッチが行われている。
それ以降は2001年夏の選手権に1度出場したのみ。2002年から15年にわたり甲子園の土を踏めていない。愛媛県も近年は夏の選手権の出場校が毎年変わる群雄割拠の時代に突入している。古豪復活を賭け久々の甲子園出場を飾ることを期待したい。
KKコンビを破った伊野商業高校
1985年春のセンバツ。PL学園高校(大阪府)の「KKコンビ」こと清原和博選手(元オリックス他)、桑田真澄選手(元巨人他)が注目の的だった。KKコンビは1年夏の甲子園で優勝を飾ると2年時は春夏ともに準優勝。3年生になったこの大会も難なく出場を果たしていた。
PL学園高校は順調に勝ち上がり準決勝へ進出。対戦相手は春夏を通じて甲子園初出場の伊野商業高校(高知県)だった。戦前の予想はPL学園高校有利とされていた。しかし1回に2点を先制した伊野商業高校がペースを握る。
エースの渡辺智男選手(元西武)が清原選手をはじめとした、PL学園高校打線を1点に封じ込め、3-1で勝利したのだ。この勢いに乗り、伊野商業高校は決勝でも帝京高校を破り、みごとに初出場初優勝を飾っている。
その後は1987年夏の選手権に出場したのみで、甲子園通算出場回数は春夏合わせて2回のみ。しかし1985年、PL学園高校に甲子園で競り勝った伊野商業高校の名前は高校野球ファンの胸に刻まれている。30年ぶり以上となる甲子園出場に期待が掛かる。
このように、歴史がある高校野球では過去の強豪がいつからか低迷し名前を聞かなくなることはよく起こる。そんな古豪が忘れ去られる前に復活することを期待したい。