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【西日本編】かつて甲子園を沸かせた古豪を振り返る

2017 8/25 10:07cut
阪神甲子園球場
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出典 百楽兎

「さわやかイレブン」「やまびこ打線」の池田高校

1970年代から1980年代にかけて「やまびこ打線」を擁して一世を風靡した徳島県の池田高校。初めて甲子園に姿を現したのは1971年夏の選手権だ。初の甲子園は2回戦敗退に終わり、大きな実績を残すことはできなかった。

池田高校の名前が全国に轟いたのは1974年春のセンバツだろう。この年の池田高校はベンチ入りメンバーが11名しかおらず「さわやかイレブン」と呼ばれ注目を浴びた。
11名のメンバー達は、函館有斗高校(北海道)、防府商業高校(山口県)、倉敷工業高校(岡山県)をくだし準決勝へ進出。準決勝でも和歌山工業高校(和歌山県)を2-0と接戦の末に下し決勝へ駒を進める。決勝戦では強豪の報徳学園高校(兵庫県)に1-3で敗れるも、見事に準優勝を飾った。この大会は金属バットが導入される前の、最後の大会となっている。

以降、1979年夏の選手権でも準優勝を飾り、強豪となった池田高校。1982年には畠山準選手(元大洋他)、水野雄仁選手(元巨人)を擁し、初の全国制覇を達成。翌春のセンバツでも畠山選手がプロ入りして戦力ダウンは免れなかったが優勝している。史上4校目の夏春連覇を達成した。これ以降、「夏春連覇」を達成した学校はない。

池田高校は甲子園でこれほどの実績を残していたが、1992年夏の選手権以降、甲子園から遠ざかっていた。その池田高校が2014年春のセンバツに27年ぶり(夏の選手権からは22年ぶり)に出場し、話題を呼んだ。

「さわやかイレブン」「やまびこ打線」で甲子園史に名を残した古豪復活を期待したい。

ウエイトレーニングの元祖!沖縄水産高校

1990年、1991年と大野倫選手(元ダイエー他)を擁し2年連続準優勝に輝くなど1980年代から1990年代で沖縄県のトップに君臨していた沖縄水産高校。その当時、監督を務めていたのが栽弘義(さい ひろよし)氏だった。

栽監督は1980年に沖縄水産高校の監督に就任すると、金属バット時代の高校野球に対応するため、ウエイトトレーニングを取り入れた。1980年代は2017年の現在とは違い、ウエイトトレーニングが一般的ではなかった。栽監督は米軍基地を訪れるメジャーリーガーが筋トレを行っているのを目の当たりにしており、すぐさまチームへと取り入れている。

その成果が1984年夏の選手権初出場だ。ここから5年連続となる甲子園出場を果たし沖縄県の強豪校へと成り上がった。(※1984年は謹慎処分を受けており監督として出場を果たしていない)

1990年、1991年と2年連続準優勝を果たした後にも、4度の甲子園出場を果たしているが、2回戦止まりである。最後の甲子園は1998年夏の選手権となる。すでに栽監督は鬼籍に入っているが、再び甲子園の地に沖縄水産高校が姿を現すことに期待したい。

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