【東日本編】かつて甲子園を沸かせた古豪を振り返る | SPAIA

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【東日本編】かつて甲子園を沸かせた古豪を振り返る


阪神甲子園球場

出典 Own work

名門Y高の復活に期待!横浜商業高校

「Y高」の愛称で親しまれている横浜商業高校。同校は春夏合計16回(春9回、夏7回)の出場を誇る激戦区神奈川県の強豪校だった。

1979年夏の選手権において初めてベスト4に進出すると、1982年春のセンバツでは荒井幸雄選手(元ヤクルト)を擁し再び準決勝進出。全国的な強豪となっていった。翌1983年は春のセンバツ、夏の選手権ともに準優勝。同年夏の選手権決勝では「KKコンビ」こと清原和博選手(元オリックス他)、桑田真澄選手(元巨人他)を擁するPL学園高校と対戦。

エースの三浦将明選手(元中日)は完投し3点に抑えるも、味方打線が点を奪うことができずに0-3で敗退した。この試合で三浦選手は清原選手に本塁打を浴びてしまう。これが清原選手の甲子園第1号本塁打となっている。

以降1989年春のセンバツでベスト4進出を果たしているものの、その後目立った成績を残すことはできずに1997年春のセンバツから甲子園へ出場できていない。

全国でも有数の激戦区である神奈川県からの甲子園出場は、容易ではない。しかし、強かった「Y高」の姿を甲子園で見たいファンは多いはずだ。今後の古豪の復活に期待したい。

「黒潮打線」の銚子商業高校

「黒潮打線」と呼ばれる強力打線で1960年代から1970年代にかけて千葉県、そして全国で活躍を果たした銚子商業高校。特に習志野高校と千葉県内で覇権を争い、1970年代は「千葉を制するものは全国を制す」とも言われていた。

1974年、夏の選手権で銚子商業高校が篠塚利夫選手(元巨人)を擁し全国制覇する。翌1975年は夏の選手権千葉県予選準決勝において習志野高校と激突。エース・小川淳司選手(元ヤクルト他)を擁する習志野高校が、自身の本塁打などで2-1と勝利し、そのまま勢いに乗って出場した甲子園本大会でも見事に優勝する。

2年連続で千葉県勢から優勝校が飛び出したのだ。千葉県勢において夏の選手権を制したのは後にも先にも、この2校しかない。

銚子商業高校は篠塚選手、宇野勝選手(元ロッテ他)など多くのプロ野球選手も輩出。1974年の優勝以降も1995年春のセンバツで準優勝と結果を残している。しかし、近年は2005年夏の選手権以来、甲子園出場がない。久しく港町の象徴でもある「大漁旗」はスタンドに舞っていない。

甲子園出場20回を誇る銚子商業高校が初戦で敗退したのは2回(1973年春、1985年夏)だけ。そろそろ、30年以上甲子園から遠ざかっている「黒潮打線」の復活を心待ちにしたい。

1980年代の北海道の雄・函館大有斗高校

函館大有斗高校(1988年4月まで函館有斗高校)は1980年代を中心に春夏合わせて13回(春6回、夏7回)の甲子園出場を果たしている。始まりは1972年。佐藤義則選手(元阪急他)を擁し北海道予選の決勝まで進出するも敗退。翌1973年春のセンバツに初出場。記念すべき一勝を挙げている。ここから道内で強豪となっていく。

盛田幸妃選手(元近鉄他)を擁した1985年から1987年は3度、甲子園に出場を果たしている。1987年夏の選手権も出場権を得る。だが1回戦で沖縄県の強豪・沖縄水産高校と対戦し、盛田選手と上原晃選手(元中日他)が投手戦を演じたものの2-3で敗れている。

1990年代に入ると徐々に他校に後れを取るようになり、1997年春夏の連続出場を果たしたものの、それ以降は甲子園に出場することができていない。1980年代までは北海道をはじめとした北国は「雪や寒さの影響もあり甲子園では好成績を残せない」と言うのが定説だった。しかし、2000年代に入ると田中将大選手(ヤンキース)の駒大苫小牧高校が優勝を果たすなど、定説は過去のものとなっている。

1997年以来となる甲子園出場を期待したい。

東海大系列の意地を!東海大山形高校

1980年代の山形県において強豪として名を馳せていた東海大山形高校。同校の甲子園で高校野球ファンの記憶そして記録にも残っているのは1985年夏の選手権初戦だろうか。

2度目の甲子園出場となった東海大山形高校は初戦でPL学園高校(大阪府)と対戦。「KKコンビ」こと清原和博選手(元オリックス他)、桑田真澄選手(元巨人他)ら最後の夏でもあったこの大会。PL学園高校は初回から打線が爆発。史上初となる毎回得点を記録し東海大山形高校は7-29と大敗を喫してしまう。2017年春のセンバツ終了時点でも両軍最多得点(36点)、1試合両軍最多安打(41安打)は甲子園記録となっている。

その後も1986年、1987年と3年連続で夏の選手権に出場している。1987年には甲子園初勝利を含む2勝を挙げ3回戦にまで進出した。しかし1990年代以降は、1995年夏、2004年春と2回のみの甲子園出場である。1980年代の勢いはなくなった。

東海大相模高校(神奈川県)、東海大福岡高校(福岡県)、東海大甲府高校(山梨県)東海大札幌高校(北海道)など他県の東海大系列が甲子園に出場している中で東海大山形高校も久々の甲子園に出場に期待したい。

PL学園を破って優勝!取手二高

1970年代後半から1980年代前半にかけて、「木内マジック」の使い手でもある木内幸男監督が率い、強豪校の一つだった取手二高。1957年から木内監督が同校を率いており、甲子園出場前も松沼雅之選手、松沼博久選手(ともに西武)を輩出していた。

1977年夏の選手権において甲子園初出場を果たすも、大きな成果を残すことはなかった。その取手二高が脚光を浴びたのは1984年だ。前年に続き2年連続での出場となった春のセンバツで初めてベスト8へ進出。同年夏の選手権も茨城県予選を勝ち抜き甲子園に出場。

エース石田文樹選手(元横浜)、主将の吉田剛選手(元阪神他)を擁し決勝まで勝ち進む。決勝戦の相手は前年の夏に甲子園制覇を制し2連覇を狙っていたPL学園高校(大阪府)だった。

雨の降る中で試合が始まり4-3と取手二高がリードで試合は9回裏を迎えた。あと3人で王者PL学園高校を倒せるというところで、清水哲選手に同点弾を浴び試合は振り出しへ。しかし、延長10回表に4点を奪った取手二高は8-4で初優勝を飾る。

これが取手二高にとって最後の甲子園となっている。木内監督がこの年をもって退任。その後は茨城県内でも強豪とは呼べない位置づけとなってしまう。

1984年の甲子園優勝から30年以上が経った今、再び甲子園の舞台に戻ってくることができるだろうか。今後の取手二高にも注目したい。

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