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【いっちょやっちくりぃ!】大分県の野球強豪校3選

2016 8/20 05:15
汚れた野球ボール
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大分県の高校野球といえば「明豊高校」が有名だが、台頭してきたのは21世紀に入ってからである。昭和の時代には甲子園優勝を果たした高校、創立100年を超える伝統校など「明豊高校」以外にも大分には野球強豪校があるのだ。全国優勝に一番近い高校を3校紹介する。

創立100年目の伝統校 「大分県立大分商業高校」

大分商業高校は、春5回、夏15回と、大分県で一番の甲子園出場回数を誇る高校だ。創立が1917年であり、今年で100年目を迎える。まさに伝統と実績を兼ね備えた高校なのだ。
最近は私立高校に押され気味だが、2013年の夏の甲子園に出場を果たした。現ソフトバンクの左腕投手・笠谷俊介(当時2年)を擁し、1997年以来16年ぶりの出場だった。昨年の夏も予選決勝まで進んだが明豊高校に0-1で敗北。この時もプロ注目の右腕・森下暢仁(まさと)がエースを務めていた。
打線が完封されてしまい甲子園出場とはならなかったのだが、森下は高校日本代表にも選出されるなど、投手としての素質は同学年の小笠原慎之助(中日・ドラフト1位)や高橋順平(ソフトバンク・ドラフト1位)に勝るとも劣らないものを持っている。プロ志望届を出さず明治大学へと進学したが、4年後が楽しみな選手である。
近年好投手を続けて輩出している大分商業。持ち前のチームワークの良さで勝ち上がっていきたいところだ。100年目の夏はいったいどんな野球を私たちに見せてくれるのだろうか。

大分県で唯一の優勝経験校 「大分県立津久見高校」

津久見高校は、春6回、夏12回の甲子園出場を誇る名門校だ。回数こそ大分商業に劣っているが、大分県で唯一甲子園優勝を果たした高校なのだ。
大分県は春と夏に1回ずつ優勝しているのだが、どちらもこの津久見高校が成し遂げた記録だ。春の優勝は1967年。左の好投手・吉良修一が4試合で54奪三振を奪うなどチームを牽引し、見事優勝を果たした。特に決勝戦では延長12回を投げ切り16奪三振を奪う熱投を見せ、まさにエースと呼ぶにふさわしい姿だった。その後、吉良は阪神にドラフト2位で入団(川藤幸三が同期)。また外野手の山口久仁男、1学年下で一塁手だった大田卓司もドラフトで指名された。
夏の優勝は1972年、この年も好投手の水江正臣が素晴らしい活躍を見せた。奪三振こそ少ないものの、5試合すべてに完投して失点はわずか5。この年は野手陣も好調だったが、やはり優勝するときはこういった良いピッチャーがいるものである。水江はその後ドラフト6位でヤクルトに入団した(野手でも一塁手の中川信秀がドラフト7位でライオンズに入団)。
その後は1988年に春夏連続出場を果たしたものの(この時のエースは後にヤクルトで活躍する川崎憲次郎)、それ以降は甲子園から遠ざかっており、苦しい時期が続いている。しかし、大分県の野球を語る上で絶対に外せない高校である。

大分県の横綱 「明豊高校」

大分県といえばこの明豊高校を思い浮かべる人が多いだろう。甲子園出場回数は春2回、夏5回と上の2校に比べて少ないのだが、すべて2001年以降に記録しており、21世紀の大分で王者の座に君臨している高校である。
1998年に別府大付属高校と明星高校が合併して誕生(別府大付属のOBには城島健司など)。明豊中学・高校として生まれ変わってからは、2001年に甲子園初出場を達成した。投手力・打撃力ともに群を抜いており、県大会では毎回優勝候補として挙げられるような高校だ。
明豊高校の記憶に残る試合といえば、2009年の夏の甲子園だろう。現在ソフトバンクで活躍中の今宮健太が出ていた年だ。171㎝と決して大柄ではない体格ながら、打っては通算62本塁打、投げてはMax154㎞/h、そのままチームをベスト8まで導き、ドラフト1位でソフトバンクに入団した。
今の大分県では明豊高校VSその他の高校のような構図になっているが、対抗馬となるような高校すらなかなか名前があがらず、いかにして明豊を倒すかが他校が甲子園に出場するためのポイントとなっている。毎年強いチームを作っており、たまたま単年で勝ててもやはり安定して強いのは明豊高校だ。

まとめ

大分県の現状は、明豊高校の一強時代となっている。もちろん他にも強い高校はあるのだが、やはりここ数年間安定して強いのは明豊高校だ。
日田林工や臼杵などの公立高校、大分高校や柳ヶ浦高校などの私立も台頭してきている。一強の構図を崩す日はいつになるだろうか。