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甲子園で生まれた劇的な本塁打を振り返る

2017 6/30 12:56cut
高校野球
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甲子園と本塁打

ドラフト前、甲子園大会期間中に話題となる甲子園通算本塁打。
2017年5月時点、甲子園通算本塁打で首位となっているのは、PL学園高校の清原和博選手(元・埼玉西武ライオンズ 他)の13本だ。2位は、同じくPL学園の桑田真澄選手(元・読売ジャイアンツ 他)と上宮高校・元木大介選手(元・読売ジャイアンツ)の6本にダブルスコアをつけており、アンタッチャブルレコード(塗り替えられることがほぼ不可能な記録)となっている。1985年夏の甲子園は、清原選手にとって最後のとなっており、その記録は30年以上も破られていないのだ。
2017年春のセンバツでは、23本の本塁打が生まれている。試合を決める劇的な一発もあれば、相手に一矢報いるそれもある。「本塁打は野球の華」と表現されることも多いが、その1本1本にドラマがある。
今回は甲子園の歴史上、本塁打で生まれたドラマの一部をご紹介したい。どの本塁打も大会が終わった後に、ファンの間で語られることが多い印象的な本塁打だ。 後にプロ野球の世界に進んだ選手もいれば、そうでない選手もいる。しかし、その本塁打を放った瞬間は間違いなく輝いていた。

野村祐輔選手が浴びた、まさかの満塁本塁打

2017年春のセンバツ、群馬県・高崎健康福祉大学高崎高校の山下航汰選手が、大会史上2人目となる2本の満塁本塁打を放った。1大会2本の満塁本塁打は、福井県・敦賀気比高校の松本哲幣選手が2015年春のセンバツで2打席連続で放って以来だ。 その満塁本塁打として思い出されるのは、2007年夏の選手権決勝での広陵高校対佐賀北高校の一戦だろう。
広島県屈指の強豪でもある広陵と、「がばい旋風」を巻き起こし決勝まで勝ち上がってきた佐賀県・佐賀北の一戦は、広陵のペースで進んでいく。2回表に広陵が2点を先制。更に、7回で2点を追加し4-0とリードを広げ、終盤8回に。広陵の先発である野村祐輔選手(現広島)は佐賀北打線を7回までわずか1安打に抑える好投。だれもが広陵の優勝を確信していた。
しかし、8回裏野村選手は、佐賀北に連打を浴びさらに四球で1死満塁のピンチを招く。続く打者もカウント1ストライク、3ボールと打者有利となる。続く5球目は、低めの際どいところではあったがボールの判定。押し出しで1点を返され4-1とリードは3点に変わる。野村選手は驚きの表情を見せた。 気を取り直して、臨んだ副島浩史選手に1ストライク1ボールからの3球目を完璧に捉えられ、打球は左翼スタンドへ一直線の逆転満塁本塁打。土壇場で4-5と勝ち越しを許してしまった。このまま試合は佐賀北が勝利し広陵は敗れ去った。
この満塁本塁打は直前の押し出しからセットで広陵の悲劇、佐賀北の歓喜としてファンの間では語られている。

「甲子園は清原のためにあるのか」通算13本目の一発

「甲子園は清原のためにあるのか!」の実況が有名なPL学園高校・清原和博選手。甲子園で放った13本目の本塁打時にこのフレーズは生まれている。
1985年夏の甲子園でPL学園のKKコンビこと清原選手、桑田選手は最後の夏を迎えた。この大会までに通算最多記録となる8本の本塁打を放っていた清原選手は、どこまで記録を伸ばせるかに注目が集まっていた。
初戦の東海大山形高校戦で29-7と史上最多得点を記録した清原選手だったが、本塁打を放つことはできなかった。準々決勝・高知商業高校の中山裕章選手から左翼スタンド中段へ運ぶ特大の本塁打が、この大会での初本塁打だった。準決勝でも2本追加の11本塁打と記録を更新し続け、宇部商業高校との決勝戦に挑むことになる。
この大会で清原選手は、0-1のビハインドで迎えた4回裏に左翼ラッキーゾーンへと本塁打を放ち同点に追いつく。その後、両チーム点を取り3-2と宇部商が1点のリード。しかし、清原選手のバットはとどまることを知らない。6回裏に回ってきた打席で、左中間スタンドへ甲子園通算13号本塁打を放ち名実況が生まれた。
試合は3-3のまま9回を裏を迎えたが、2死二塁の場面で3番・松山秀明選手がサヨナラ適時打を放ち、4-3とサヨナラで試合を決めPL学園が優勝を果たした。清原選手、桑田選手の甲子園は全国制覇で幕を閉じたことになる。

「ミラクル新田」2本のサヨナラ本塁打

1990年春のセンバツで、初出場を果たした愛媛県・新田高校。1回戦で、同じく初出場の前橋商業高校を9-1で倒し、2回戦でも初出場の日大藤沢高校と対戦する。試合は9回表終了時点で4-1と日大藤沢が3点のリード。
ここであきらめなかった新田は、適時打で1点を返した後に4番・宮下典明選手(元近鉄)が、サヨナラ3ランホームランを放ち劇的な勝利を収めたのだ。勢いに乗った新田は準決勝に進出。ここで大阪府・北陽高校と対戦する。北陽のエースは、のちに近鉄へ入団するプロ注目の寺前正雄選手だった。
試合は、3-3の同点で延長戦に入り、18回引き分け再試合も視野に入った17回裏。新田の1番・池田幸徳選手がサヨナラ本塁打を放ち、4-3と今大会2度目のサヨナラ勝ちを収める。1大会で、2本もサヨナラ本塁打を放ったチームは初めてのことだった。 決勝で大阪府・近大付属高校に敗れたものの、「ミラクル新田」として甲子園ファンの記憶に残ったことは間違いない。
なお、新田高校の一色俊作監督は、以前に松山商業高校の監督を務めており、その際に三沢高校と延長18回再試合の末に甲子園制覇を成し遂げている。2013年に他界しているが名将としてその名を甲子園史に刻みこんだ。

ダルビッシュ有選手の頭上を越えていった、済美の一発

2004年春のセンバツは、エース・ダルビッシュ有選手を擁する東北高校が優勝候補に挙げられていた。ダルビッシュ選手は、初戦の熊本工業高校戦でセンバツ史上12人目となるノーヒットノーランを達成。続く平田良介選手(現中日)らを擁する大阪桐蔭高校戦では、6回1失点で勝利に貢献し準々決勝へと駒を進めた。
準々決勝の相手は、初出場の愛媛県代表・済美高校。この試合ダルビッシュ選手は肩の調子が良くないこともあり、投手ではなく左翼でのスタート。試合は序盤から東北がリードを奪い、9回表終了時点で6-2。あと、アウト3つで準決勝進出というところまで迫っていた。 9回裏の攻撃で、済美に連打と内野ゴロで2点を奪われるも6-4と2点差まで迫られるが、2死無走者までこぎ着けあと一人となった。
ここから済美は連打で2死一、二塁のチャンスを作ると、3番・高橋勇丞選手(元阪神タイガース)がダルビッシュ選手の頭上を越える逆転サヨナラ3点本塁打を放ち、7-6で試合終了。ダルビッシュ選手ら東北の夢は、高橋選手の一発で甲子園から去ることになった。
この試合は9回裏に済美が5点を挙げる大逆転劇として甲子園史に刻まれている。