1985年:KKコンビ最後の夏
「KKコンビ」ことPL学園(大阪府)の桑田真澄選手、清原和博選手が3年生となった1985年。高校野球ファンの注目は「PL学園が優勝を果たすことはできるのか?」にあった。PL学園のKKコンビは1983年夏の選手権で圧倒的な強さを誇り優勝を達成したものの、2年時の1984年は優勝できず最後の年を迎えたからだ。
迎えた春のセンバツで順当に勝ち進んだものの準決勝で伊野商(高知県)のエース渡辺智男選手が立ちふさがった。清原選手を3三振と完全に封じ込め3-1と勝利。下馬評を覆す勝利を挙げたその勢いで伊野商は初出場初優勝を果たしている。
KKコンビにとって最後の夏となる1985年の選手権。2回戦で東海大山形(山形県)に29-7と史上最多得点で勝利するなど圧倒的強さで勝ち進む。準決勝の甲西戦でも15-2と大差で勝利し3年連続となる決勝進出を果たしたPL学園。決勝の相手はY高こと横浜商(神奈川県)だ。この試合で清原選手は2本塁打を放ち3-0で勝利し最後の夏を優勝で飾っている。
清原選手は甲子園通算13本塁打という2017年現在でも破られていない記録を達成。決勝戦で放った2本目の本塁打の際に実況アナウンサーが「甲子園は清原のためにあるのか!」は名実況として語り継がれている。
1986年:夏の選手権で天理が初優勝
KKコンビが高校野球の世界から去り初めての甲子園となった1986年春のセンバツ。この大会は初出場となった新湊(富山県)が享栄(愛知県)、拓大紅陵(千葉)、京都西(京都)と言った強豪を次々と破り「新湊旋風」を巻き起こした。準々決勝の京都西戦ではボークで得た決勝点を守り切り延長戦を制している。準決勝で新湊は力尽きたものの大きな感動を呼んだ。
この大会を制したのは池田(徳島県)だった。「阿波の金太郎」こと水野雄仁選手を擁し初優勝を遂げてから3年ぶりの優勝となった。
夏の選手権で春夏連覇を目指した池田は明野(三重県)と対戦するも敗戦。初戦で春夏連覇の夢は絶たれたのだ。春に旋風を巻き起こした新湊も初戦で天理に敗退している。
この大会を制したのは初戦に新湊を下し順調に勝ち進んだ天理だった。12回目の出場で初優勝を決めたのだ。その後、天理は春夏ともに1度ずつの優勝を飾っており全国区の強豪校へと躍進した。
1987年:PL学園が春夏連覇を達成
KKコンビが去って2年目となった1987年。この年はPL学園が新たな強さをみせた年でもあった。立浪和義選手、野村弘選手、橋本清選手、片岡篤史選手、1学年下に宮本慎也選手と多くの好選手を擁し春のセンバツでは2試合の延長戦を勝ち抜き決勝では関東一(東京都)に7-1と快勝し5年ぶり3回目の優勝を飾った。
夏の選手権でもPL学園は準決勝で強豪・帝京(東東京)と対戦。帝京のエース・芝草宇宙選手は2回戦でノーヒットノーランを達成するなど注目を浴びていたが、PL学園は3回で芝草選手をノックアウト。12-5で帝京を下し順当に決勝へと進出した。決勝では初出場の常総学院(茨城県)と対戦する。率いるのは取手二(茨城県)時代に決勝で延長戦の末にPL学園を破っている「木内マジックの使い手」木内幸男監督だった。
PL学園は過去の悪夢を振り払うかのように5-2で勝利。木内監督も「今年は、桑田、清原レベルが5,6人いる」とコメントするほどの強さを誇りKK時代でも達成できなかった春夏連覇を達成した。このとき、常総学院の背番号「6」は1年生ながら唯一のベンチ入りを果たしていた仁志敏久選手だった。
この大会がPL学園の最後の優勝となり大阪府の高校野球の勢力図が変化。
PL学園から上宮、そして大阪桐蔭、履正社へと全国区の高校が徐々に移り変わっていく。各校共に全国レベルで好成績を残しており府勢としてのレベルは依然として高く、2017年春のセンバツ決勝では史上初の大阪府対決となった。
1988年:広島商が6度目の優勝
外野のラッキーゾーンが2.5メートル後退したことで本塁打の数が減少するかと思われた1988年春のセンバツ。ふたを開けてみると本塁打は18本と前回大会(19本)とほぼ同じだった。一方で二塁打の数は12本から25本と倍増。外野守備の重要性が増した大会でもあった。なおこの大会で優勝を果たしたのは初出場の宇和島東(愛媛県)だ。
清原選手に次いで桑田選手とタイの甲子園通算6本塁打を放つことになる元木大介選手がデビューした年でもある。
夏の選手権では5年連続出場を果たした沖縄水産(沖縄県)が興南以来20年ぶりのベスト4進出を果たした。2年後の県勢初めてとなる決勝進出に繋がる戦いぶりを見せたのだ。
この大会で優勝したのは名門広島商(広島県)。伝統の「広商野球」を体現し決勝では福岡第一(福岡県)を0-0の9回表に決勝点を挙げ1-0で6度目の優勝を飾っている。
1989年:夏の選手権決勝で死闘
春のセンバツでは元木選手、種田仁選手擁する上宮(大阪府)が前評判通りに勝ち進む。準決勝でも横浜商(神奈川県)に9-0と圧勝し決勝に挑む。決勝の相手は愛知県「私学四強」の一角でもある東邦だった。1-1のまま試合は延長戦に入ると10回表に上宮は1点を勝ち越す。
しかし、その裏に東邦は適時打で同点。その後、種田選手の悪送球の間にサヨナラのランナーがホームに返り、3-2で東邦が逆転サヨナラ勝ちで優勝を収めている。夏の選手権大会は空前の元木選手フィーバーとなり厳戒態勢がしかれての始まりだった。
この大会では初日に春夏連覇を目指した東邦が倉敷商(岡山県)に敗れる波乱。東邦の次の試合となっていた上宮は丸子実(長野県)に元木選手が2本塁打を浴びせるなど10-3と貫禄の勝利し順当に勝ち進むが、準々決勝で仙台育英(宮城県)に2-10と大敗する。元木選手の甲子園は優勝に手が届かないままで終了している。
この大会の決勝は帝京(東東京)対仙台育英の初優勝を賭けた両校の対戦となった。帝京・吉岡雄二選手、仙台育英・大越基選手と後のプロ入りを果たす両投手の投げ合いは熾烈を極め9回を終わっても0-0。延長10回に帝京が2点を奪うとその裏を吉岡選手がきっちりと抑え10回目の出場で初優勝を飾っている。大越選手は決勝戦まで全てを1人で投げ抜き838球を投じたが優勝旗を宮城県に持ち帰ることはできなかった。