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2000年代後半の甲子園を振り返る

2017 6/28 09:44cut
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2005年:57年ぶりの夏2連覇

春のセンバツでは愛知の私学4強と呼ばれる愛工大名電高校が8回目の出場にして初優勝を果たした。この大会での主力選手は堂上直倫選手(現中日)だ。堂上選手は2年生ながら4番を任され大会2本の本塁打を放つなどの活躍を見せた。また、市立和歌山商業高校の川端慎吾選手(現ヤクルト)も本塁打を放っている。
夏の選手権では前年に優勝を果たした駒大苫小牧高校が2年生の田中将大選手(現ヤンキース)を擁し優勝に輝く。夏の大会2連覇は小倉高校(旧小倉中)以来57年ぶりの出来事となったのだ。前年の2004年に初めて津軽海峡を超え北海道へ渡った大優勝旗が2年連続で北海道へと渡ることになった。
また、「浪速の四天王」と呼ばれた大阪桐蔭高校の辻内崇伸選手、平田良介選手も甲子園でそろって本塁打を放っている。平田選手は夏の選手権タイ記録となる1試合3本塁打を放つなど大きなアピールを果たした。これはPL学園高校時代の清原和博選手が1985年の1回戦で記録して以来30年ぶり2回目の記録となり四天王の名に恥じない活躍を見せたと言えるだろう。

2006年:伝説の死闘

2006年春のセンバツはどのチームも打倒駒大苫小牧高校で望むつもりだった。しかし、出場校が決まった後に部員の不祥事が発覚。無念の出場辞退となり駒大苫小牧高校は春のセンバツに出場できなくなったのだ。夏春連覇は思いがけない形で潰えてしまったのだ。
主役不在とも言える春のセンバツを制したのは神奈川県の名門でもある横浜高校だった。横浜高校は福田永将(のぶまさ)選手を主将とし高浜卓也選手(現ロッテ)、下水流昂(しもずるこう)選手(現広島)、佐藤賢治選手(元日本ハム)らを擁し長崎県の清峰高校(せいほうこうこう)を決勝で21-0で勝利。
センバツ決勝における最多得点記録を更新した。また、斎藤佑樹選手は夏の大会での延長再試合の印象が強くなっているが、この大会でも早稲田実業は関西高校戦で延長再試合を戦って勝利している。
春のセンバツは無念の出場辞退となった駒大苫小牧高校が満を持して甲子園に戻ってきた夏の選手権。しかし、この大会の主役は早稲田実業のエース「ハンカチ王子」こと斎藤選手だった。決勝では37年ぶりとなる延長15回引き分け再試合の結果4-3で斎藤選手が優勝投手に輝いたのだ。駒大苫小牧の最後の打者は田中選手だったこともまた、印象深いシーンとなっている。
この大会で斎藤選手が水色のハンカチで汗をぬぐっている姿は、たびたびテレビでも画面に映りお茶の間への人気に繋がった。その姿から斎藤選手は「ハンカチ王子」と呼ばれるようになったのだ。

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