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【高校野球】意外と知らない、春夏のレギュレーションの違い

2019 7/31 15:00sachi
野球
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Photo by Suzanne Tucker/shutterstock.com

高校野球ファンにとっては見逃せない「春夏の甲子園」。野球ファンのみならず多くの人が知っていると思われるだろうが、あなたは春夏の甲子園の歴史や正式名称、レギュレーションの違いをご存知だろうか。意外と知らない春夏の違いや歴史を解説していく。

春夏の甲子園、それぞれの正式名称や開催時期について

甲子園球場で開催される高校野球の全国大会は非常に長い歴史を持つ。現行では春と夏に2回開催され、それぞれ正式名称や開催時期が異なる。

春の大会は正式名称を「選抜高等学校野球大会」といい、毎年3月に開幕する。春のセンバツといえばこの大会を指す。一方、夏の大会は「全国高等学校野球選手権大会」という正式名称があり、開催時期は8月となる。

【夏の甲子園】全国高等学校野球選手権大会の歴史や優勝校

春夏の大会で、より長い歴史を持つのは夏の大会だ。全国高等学校野球選手権大会の第1回大会は1915年、大阪府豊中市にあった豊中球場で開催された。

豊中球場では第2回まで、第3回から第9回までは兵庫県西宮市にあった鳴尾球場で行われ、甲子園球場が完成した1924年の第10回大会以降は同地で開催されている(第28回を除く)。

1918年の第4回大会は「米騒動」により本大会を中止、また1941年の27回大会及び1942年~1945年は太平洋戦争により中止・中断されたが、それ以外の全ての年で開催され現在に至る。

栄えある第1回大会の優勝校は京都府の京都二中、初めて甲子園球場で行われた第10回大会は広島県の広島商が優勝。 歴代最多優勝校は愛知県の中京大中京で7回、以下広島商の6回、愛媛県の松山商と大阪桐蔭が5回、大阪のPL学園が4回と続く。

【春の甲子園】選抜高等学校野球大会の歴史や優勝校

春大会となる選抜高等学校野球大会が始めて開催されたのは1924年、開催地は愛知県名古屋市にあった山本球場だった。翌年の第2回大会から甲子園球場に移ることとなる。

戦中戦後の1942年~1946年では開催が中断、それ以外は全ての年で開催されており、1948年の学制改革で第20回大会から現在の正式名称が使われるようになった。(夏の甲子園も同様)

歴代優勝回数は愛知県の東邦が5回で最多。2位は同じ愛知県の中京大中京が4回、次いでPL学園、県岐阜商、広陵、箕島、横浜、大阪桐蔭の6校が通算3度の優勝を誇る。

現行規定による出場枠は北海道1、東北2、関東・東京で6、北信越2、東海2、近畿6、中国・四国で5、九州4だ。これに21世紀枠の3と明治神宮大会枠1が加わり、全32校となっている。

シードなしの全力バトル!夏の甲子園をもっと詳しく解説

夏の甲子園は各都道府県大会の優勝校が甲子園に集結、深紅の大優勝旗を争い熱戦が繰り広げられる。

1978年に開催された第60回記念大会から都道府県で各1校の出場が規定され、同時に北海道は北と南で各1校、東京都は西と東で各1校ずつの出場も認められた。そのため現在の出場枠は49ある。

初戦と準々決勝、準決勝前に計3回の抽選が入るトーナメントで、シードは採用されていない。そのため、1回戦から優勝候補同士の対戦が組まれる場合もある。

8月15日の終戦記念日に捧げられる黙祷も風物詩の1つだ。通常は正午に行われるが、試合時間などの兼ね合いで時間が前後するケースもある。また、第98回大会の1回戦で山梨学院と対戦した長崎商ナインは、長崎に原爆が投下された8月9日11時2分を試合中に迎えたことから、ベンチ前で黙祷を行った。

センバツ出場校はどう決まるのか?春の甲子園をもっと詳しく解説

都道府県大会の結果で出場校が決まる夏の甲子園とは異なり、春の甲子園は出場校の選出に関して独自の規定がある。

出場校選出に関与するのは、前年秋に行われる各都道府県大会と地区大会。東京都と北海道以外で行われる地区大会は、それぞれの府県大会で勝ち上がった2校または3校がトーナメントで激突する。優勝校は11月に開催される明治神宮大会へ出場、この大会を優勝すると、所属する地区のセンバツ出場枠が1つ加算される(明治神宮大会枠)。

21世紀枠は、環境や設備などに不利な条件を抱えながらも都道府県大会で一定以上の成績を収めたチームに与えられる。地域貢献も加味され、選出は高野連が主導で行う。