「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

「東の横綱」東海大相模野球部の歴史を紹介

2019 8/16 11:00SPAIA編集部
イメージ画像ⒸmTaira/Shutterstock.com
このエントリーをはてなブックマークに追加

ⒸmTaira/Shutterstock.com

甲子園の常連校であり、春2回、夏2回の全国制覇を成し遂げている東海大相模野球部の歴史を紹介する。野球部の礎を築いた原貢元監督、同校野球部が輩出したプロ野球選手についても触れていく。

名将・原貢監督を招き、強豪校に

東海大相模野球部を紹介する上で欠かせない人物と言えば、原貢元監督だ。

1965年夏の第47回大会で、福岡代表・三池工の監督として工業高校として初めての優勝に導くと、東海大学の創立者である松前重義氏のたっての希望で、東海大相模の監督に就任。強豪・東海大相模の礎を築いた。1970年夏の第52回大会では決勝でPL学園を下して初優勝し、名将の地位を不動にした。

原辰徳との親子鷹で話題に

1974年には、東海大相模野球部に原貢監督の息子である原辰徳現巨人監督が入り、親子鷹として話題になった。息子の辰徳には他の選手より厳しく接し、何度も鉄拳制裁を加えたのは有名な話だ。

原親子は1974年から76年まで3年続けて夏の甲子園に出場。1975年には春のセンバツにも出場した。ちなみに辰徳が東海大学に進学すると、父親も東海大学の監督に就任している。

辰徳は大学卒業後、1980年のドラフト会議で巨人から1位指名され、選手としてプロ通算1675安打、382本塁打。監督としてはリーグ優勝7回、日本一3回という輝かしい成績を残し、2019年から3度目の監督を務めている。

2000年にセンバツ初優勝

1970年の夏の甲子園で初優勝後、2度目の栄冠は2000年春まで待たなければならなかった。

第72回センバツ。エース筑川利希也の140キロ前後のストレートと鋭いスライダーで勝ち進み、決勝で智弁和歌山を下して優勝した。筑川はプロからも注目されていたが、大学でケガをし、プロ入りすることはなかった。

33年ぶり夏の甲子園で準優勝

神奈川県は高校野球の激戦区の1つで、横浜や横浜商、法政二、桐蔭学園、慶応義塾など多士済々。そのため、1977年から2009年まで夏の甲子園から遠ざかったが、33年ぶりの出場となった2010年の第92回大会では、後に阪神にドラフト2位指名される右腕・一二三慎太を擁し、準優勝を飾った。

2015年夏、Wエースで2度目の優勝

翌2011年春も甲子園に出場し、2000年以来のセンバツ制覇。さらに2015年夏の甲子園では、中日にドラフト1位指名された小笠原慎之介とオリックスにドラフト5位指名された吉田凌のダブルエースで、1970年以来となる深紅の優勝旗を手にした。

2019年夏の第101回大会では初戦で注目の左腕・林を擁する近江に快勝したが、次戦で中京学院大中京に敗れた。

おすすめの記事