「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

古豪復活が望まれる!倉敷工業高校野球部の歴史

2017 3/29 18:30出井章博
野球
このエントリーをはてなブックマークに追加

Photo by mTaira/shutterstock.com

倉敷工業高校野球部の歴史を紹介する。倉敷工業高校野球部は戦後に甲子園常連校だった歴史がある。上位進出も数え切れない。近年も、甲子園で話題を振りまいてくれた。輩出されたプロ野球選手もお伝えする。

倉敷工業高校野球部の歴史

1939年に創立した倉敷工業高校野球部は、戦後から1970年代まで岡山県の強豪校として君臨した。当時は岡山東商業と双璧をなしており、甲子園の常連だった。1949年の夏の選手権大会で、甲子園初出場を果たした倉敷工業高校はいきなりベスト4に進出する。
さらに、1957年春のセンバツ、1968年の夏の選手権大会でもベスト4。2017年春時点で、春のセンバツ10回、夏の選手権大会9回の出場を誇っている。

2003年夏の選手権大会で大劣勢の試合がノーゲーム

1970年代以降は、数年おきに甲子園出場を果たしてきた倉敷工業高校。2003年の夏も7年ぶりの選手権大会出場だったが、高校野球ファンにとって、忘れられない出来事があった。
1回戦駒大苫小牧戦は、4回表まで0対8の大劣勢。しかし、試合前から断続的に降っていた雨が4回裏に激しくなる。結局4回裏2死で降雨ノーゲームなり、翌日に再試合が行われた。その試合は倉敷工業高校が5対2で勝利。高校野球ファンには「8・9の悲劇」と呼ばれていた。その後、倉敷工業高校は3回戦まで進出している。

オールド高校野球ファンを喜ばせた2009年の世代

2009年の第81回選抜高校野球で34年ぶりのセンバツ出場を果たした倉敷工業高校。1回戦で大阪府の金光大阪との激しい乱打戦の末、延長12回11対10のサヨナラ勝ち。続く2回戦は愛知県の優勝候補中京大中京だ。
中京大中京にはエースで4番の現広島カープの堂林翔太選手がおり、この試合も激しい打ち合いにあった。試合は5対6で惜しくも負けてしまったが、倉敷工業高校の活躍にオールド高校野球ファンは喜んだ。

倉敷工業高校黄金期に輩出された野球センス抜群の選手

倉敷工業高校の黄金時代である1950年代の代表的なOBは、安原達佳氏だ。
1954年に読売ジャイアンツに入った安原達佳氏は、ルーキーイヤーから登板する。高卒2年目に早くも先発に定着し、12勝。翌1956年も15勝する。その後、調子を崩して、横手投げにして二桁勝利を2度。さらに、それも調子を崩すと外野手に転向し、86試合に出場と野球センスの塊のような選手だった。投手で56勝、安打もプロ通算120安打を放っている。

倉敷工業高校野球部OBの現役選手

最近は甲子園出場の頻度が減ってしまった倉敷工業高校だが、OBには現役のプロ野球選手がいる。
2014年のドラフトで阪神タイガースに4位指名された守屋功輝投手だ。右のサイドスローに近いスリークォーターのフォームから140km/hを超えるストレートとカーブ、スライダー、チェンジアップを駆使する。2016年シーズンにプロ初登板を果たし、その後4試合登板した。うち1試合先発を果たしており、今後の活躍が期待される選手だ。

まとめ

倉敷工業高校野球部の歴史を紹介した。倉敷工業高校野球部は、1950年代から1970年代に黄金時代を迎え、甲子園ベスト4に数回進出している。多くのプロ野球選手を輩出しており、現役の阪神タイガースの選手もいる。近年は数年おきに甲子園出場を果たしている倉敷工業高校野球部。今後復活を待ちたい。