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山陰地方の名門!米子東野球部の歴史を紹介

2017 3/29 18:30TANANA
野球
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出典 mTaira/shutterstock.com

鳥取県随一の古豪として知られる米子東野球部は、1900年代前半の甲子園大会において数多くの実績を残してきた。 甲子園での成績、プレースタイル、そしてOB選手まで、今回はいろいろな角度からその歴史を紹介していく。

文武両道をモットーとする米子東の歴史を紹介

1899年、鳥取県第二中学校に起源を持つ米子東は、文武両道を地でいく教育方針で全国的に知られる有名校だ。実際に全国大会で優勝している柔道部をはじめ、毎年好成績を収めているボート部、水泳部などスポーツ部が盛んな一方でテレビのクイズ番組で有志がチームを組み、優勝を果たしたこともある。
野球部は1900年頃から既に活動実績があり、甲子園の予選は第1回から鳥取西とともに県内予選において皆勤出場をしている。

米子東の甲子園での輝かしい実績を紹介

米子東は1925年夏の全国大会に初出場を果たし、2回戦で敗退したが、その後1900年代前半は島根県代表として健闘を見せる。春夏通算16勝を挙げ、ベスト8に3回、ベスト4以上に3回進出した。 特に1960年春の選抜ではロースコアの接戦を勝ち進み、決勝では敗れたものの、準優勝を果たした。この実績は2017年現在、山陰勢では春夏通じて最高記録となっている。
しかし、1996年春の選抜以降、甲子園出場がなく、予選突破もままならない状態が続いており、今後の奮起が待たれる。

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