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復活を期す山陰地方の古豪 米子東野球部の歴史を紹介

2019 8/7 18:00SPAIA編集部
野球
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Phot by mTaira/shutterstock.com

文武両道をモットーとする米子東

1899年、鳥取県第二中学校を起源に持つ米子東は、文武両道を地でいく校風だ。全国大会出場経験のある柔道部をはじめ、インターハイ優勝実績をもつボート部など運動部が盛んな一方で、毎年のように東大合格者を出すなど進学実績もある。地元では「米東」の愛称で呼ばれている。

野球部は1900年から活動実績があり、甲子園の予選に第1回から鳥取西とともに地方大会に出場を続ける「皆勤校」だ。そのプレースタイルは、実力に加え品位を備え、応援団も含めてマナーが良いというイメージが定着している。第91回選抜高校野球大会では統制のとれた人文字での応援だけでなくマナーの良さも評価され応援団賞を受賞した。

米子東の甲子園での輝かしい実績を紹介

米子東は1925年夏の選手権に初出場し、2回戦で敗退したが、その後1900年代は健闘を見せる。春夏通算16勝を挙げ、ベスト8に3回、ベスト4以上に3回進出、1960年春のセンバツでは準優勝を果たした。この実績は2019年現在、山陰勢では春夏通じて最高記録となっている。

しかし、1996年の春を最後にしばらく低迷が続き甲子園から遠ざかった。その後ようやくセンバツ出場を果たしたのは23年後の2019年。部員はベンチ入りの上限18人に満たない16人で、体調不良の選手が出たため試合には15人で挑んだ。1回戦で敗れたもののチームの勢いは夏も止まらず、28年ぶりに夏の甲子園の切符もつかんだ。春夏連続出場は1960年以来59年ぶりとなる。

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