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プロに多数輩出している仙台育英硬式野球部の歴史

2019 8/8 19:00SPAIA編集部
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多数のプロを輩出、仙台育英硬式野球部

仙台育英は1905年に創立され、100年以上の歴史を誇る仙台の名門校だ。長い歴史の中で多くの著名人を輩出している。スポーツ界には女子日本バレーボール代表としてオリンピックでも活躍した大友愛選手や、ラグビー日本代表の畠山健介選手らがいる。

プロ野球の道に進む生徒も多く2019年時点で33名の選手がプロ入りを果たしている。1965年に行われた第1回のドラフト会議でも、加藤俊夫(大洋2位・拒否)、石崎一夫(大洋10位)が指名されるなど、仙台育英は古くからプロ野球選手を輩出していた。

特に有名なOBは、1992年にダイエーから1位で指名された大越基や、2007年の高校生ドラフト1巡目で指名された由規(よしのり)だろうか。また、近年では、2015年夏の甲子園で準優勝を果たした時のエース・佐藤世那(元オリックス)、平沢大河(ロッテ)がプロ入りを果たした。

名選手たちが在籍した硬式野球部は甲子園の常連で、2019年現在で春12回、夏28回の出場を誇っているほか、優勝はないものの2015年夏の選手権大会では春夏合わせて3度目の準優勝に輝いた。

初めての決勝は延長で敗退

仙台育英が初めて甲子園に出場したのは、1963年夏の選手権大会。初戦で今治西に敗退するが、同校にとって歴史的な年となった。

1989年にはエース大越基選手を擁し、初めて決勝に進出。帝京高校と対戦し、延長10回0-2で惜しくも敗戦する。この時の帝京のエースは同年のドラフト会議で巨人から3位指名され、現在は日本ハムの2軍打撃コーチを務めている吉岡雄二だった。

2010年夏の選手権では、初戦で島根県代表の開星と対戦。開星のエース白根尚貴選手(元DeNA)に抑え込まれ、9回表二死まで3-5と敗色濃厚だった。しかし、ここから安打、死球、失策などで1点を返し、なおも走者を置いて逆転のチャンスを作る。次打者が打ったのは、平凡なセンターフライ。誰もが万事休すと思った瞬間、中堅手がエラーをし、二者が生還して逆転に成功。奇跡的に勝利を収めた。この落球シーンは甲子園のドラマとして、たびたび取り上げられている。

2019年夏はベスト8入りしたものの、準々決勝はエース奥川恭伸を温存した星稜に1-17で大敗した。悲願の全国制覇を目指す戦いは続く。