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戦前から大活躍してきた向陽野球部の歴史と成績

2017 3/8 20:01WALKINGMAN
野球
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Photo by mTaira / Shutterstock.com

和歌山県和歌山市に所在する向陽は、文武両道の高校で戦前に中等学校として開校した歴史のある高校だ。 旧制和歌山県立海草中学校時代に、硬式野球部は夏の甲子園で2連覇する大活躍をした。 そんな向陽の歴史・伝統を解説。成績、特徴、名場面、輩出された選手などを紹介する。

戦前から大活躍してきた向陽野球部の歴史・伝統

向陽は、1915年に旧制和歌山県立海草中学校として開校し、1948年に現在の和歌山県立向陽高等学校に改称した。野球部は、1921年に創部され、戦前から活躍してきた。1939年、40年の夏の甲子園では2連覇を達成している。
戦後から現在の向陽に改称してからは苦戦が続き、甲子園に出場する機会も減ってしまったが、近年では2010年の春の選抜大会で21世紀枠での出場を果たし、初戦で開星(島根)を破り45年ぶりの勝利を挙げた。
また、勉学では理系の教育に力を入れており、2006年に文部科学省からスーパーサイエンスハイスクールに指定されている。2004年から県立中学校が開校し、中高一貫校となった。正に文武両道の高校だ。

戦前の向陽野球部の成績はすごかった

旧制海草中時代の1921年に創部された向陽野球部は、1929年の夏の大会で当時の和歌山県の強豪校である和歌山中(現桐蔭)を破って甲子園に初出場し、いきなり準優勝と結果を残す。
1939年は、夏の甲子園でエース嶋清一選手の大活躍で見事初優勝した。続く1940年の夏の甲子園では、真田重蔵選手をエースに2連覇を達成した。向陽と改称してからは夏の甲子園の出場はないものの、春の選抜大会には5回出場している。
2009年の春季近畿地区大会では、県予選では48年ぶりの優勝を果たした。2010年の春の選抜大会では、21世紀枠での甲子園出場を果たした。これまでに春の選抜大会に15回、夏の甲子園に8回出場。優勝2回、準優勝1回という記録を残してきた。

歴史のある向陽野球部の特徴とは?

向陽野球部の特徴は、戦前からの長い歴史を持っていることだ。2005年の夏の甲子園では、戦後60年の大会を記念して入場行進の先導と始球式を、大阪体育大浪商(旧・浪華商)と共に両校の主将が大役を任された。 戦時中の1945年に夏の甲子園で大活躍した嶋清一選手が戦死するというショッキングな出来事があったが、2008年には、その嶋選手の野球殿堂入りの表彰式が夏の甲子園の最中に行われた。
この時の野球部の選手たちは、石谷俊文監督から嶋選手の話を聞いたり、伝記本を読むようになり、甲子園に出たいという気持ちがより強くなったそうだ。奮起した向陽ナインは、結果を出し続け、ついに2010年の春の選抜で21世紀枠という形で念願の甲子園出場を果たした。

向陽野球部の名場面今昔

向陽の旧制海草中時代のエース嶋清一選手は、左腕の剛速球投手として自身最後の夏の甲子園で全5試合完封勝利という大活躍で見事初優勝に導いた。その中でも圧巻だった試合が準決勝と決勝戦だ。嶋選手は、持ち前の剛速球に加えて落差の大きいドロップを武器に相手打線を圧倒し、2試合連続のノーヒットノーランを達成した。
近年では、2010年に石谷監督率いる向陽は、春の選抜に21世紀枠で出場を果たした。初戦でエース藤田達也選手が好投し、その好投に応えるように、4回裏に6番大槻司選手、長田龍誠選手の連続タイムリーで鮮やかな先制攻撃で2点を挙げた。藤田選手は9回に1点を失ったものの、味方の守備にも助けられ、1点差を守り切って見事な完投勝利。甲子園で45年ぶりの勝利へと導いた。

向陽野球部から輩出された選手

向陽野球部からプロ野球に輩出された選手は、真田重蔵選手(元朝日・パシフィック・太陽・大陽・松竹・大阪)、藪上敏夫選手(元南海)、柴田猛選手(元南海・広島)の3人が挙げられる。
中でも1940年の夏の甲子園2連覇達成時にエースとして貢献した真田選手は、プロ入り後も大活躍し、1990年に野球殿堂入りを果たした名選手だ。朝日に入団した1943年の1年目から13勝(防御率1.98)を記録した。戦争終戦後の1946年?48年には3年連続20勝、ノーヒットノーランも1度達成した。1950年には、39勝を挙げて沢村賞を受賞している。
1939年の夏の甲子園で大活躍した嶋清一選手も、もし戦争さえなければ間違いなくプロ野球で大活躍していただろう。嶋選手の戦死は、非常に悔やまれる出来事だった。嶋選手は野球漫画「巨人の星」にて星飛雄馬のモデルにされていたとも言われている。

まとめ

向陽野球部は、戦前から日本の高校(当時は中等学校)を牽引してきたチームの1つだった。 嶋選手、真田選手という名選手による活躍で夏の甲子園2連覇も達成している。 時代は変わり、近代野球では苦戦が続くが、古豪である向陽野球部をまた甲子園で見られる日が来ることを期待したい。