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山形県初の優勝が期待される!?日本大学山形高等学校野球部

2017 3/8 20:01Mimu
野球
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Photo by mTaira / Shutterstock.com

山形県屈指の名門校である日本大学山形高校。 未だ甲子園で優勝経験のない山形県に、初の優勝旗をもたらしてくれるのではないかと期待されている。 現状ではベスト4が最高記録だが、プロ野球選手も輩出している名実ともに実力校だ。可能性は十分に秘めているだろう。 日大山形高校野球部の歴史と近年の活躍について紹介していく。

創部60年近い歴史を誇る日大山形野球部

1958年に山形第一高校として創設され、それとほぼ同時に野球部も創部された。59年の第41回大会から出場しており、その後すぐに山形県内屈指の強豪校へと成長。そして62年に経営権が日大へと移り、改めて日大山形としてのスタートを切ると、翌63年には山形県大会を制覇し、早くも甲子園初出場を果たすのだ。
山形県内でも最も生徒の多いマンモス校であり、サッカー部やバスケットボール部など、他の部活動も非常に盛んな高校でもある。また、県内でも上位の進学校という一面もあり、地元の人にとっては野球以外でも非常になじみ深い高校だ。

伝統も実績も県内トップクラス

日大山形野球部は、山形県内では伝統も実績もトップクラスのものを誇っている。特に甲子園春夏通算の出場回数19回というのは県内ではトップ、通算15勝も同様だ。そして何よりも、いくつもの「山形県勢初」の記録が、日大山形によって達成されてきた。
たとえば2006年の夏の甲子園ではベスト8まで進出したのだが、これは山形県勢としては初の快挙となる。さらに2013年の夏の甲子園ではベスト4に輝き、先輩たちが打ち立てた記録を更新した。今回は特に印象的だった2013年の大会について、詳しく紹介していこう。

ベスト4の立役者となった奥村展征

2013年の甲子園では、奥村展征選手(現・東京ヤクルトスワローズ)の活躍が印象的だった。キャプテンで4番でショート、攻撃でも守備でもプレー外のところでも、チームを見事にまとめ上げていた。
特に初戦となった日大三高戦では、バックスクリーンの右に先制ツーラン。この1発で火がついた打線は、7回の一挙5得点を含む7得点を挙げた。守備でも奥村選手や二遊間を組む後輩の中野拓夢さんを中心に好プレーを連発。エースの庄司瑞さんも気迫のピッチングを見せ、見事に7-1で大勝利を収める。 下馬評では日大三高有利というのが大方の予想だったのだが、奥村選手の一発からそんな周囲の声を一気に吹き飛ばした。

常にチームを鼓舞してきた存在、奥村選手

さらに準々決勝の明徳義塾戦でも、奥村選手の存在感が光った。明徳義塾といえば高校野球ファンにとってはおなじみの強豪校。しかも山形県勢と明徳義塾の相性は最悪で、山形県全体で見ても、今まで一度も勝てていない相手だったのだ。この年も、いきなり初回に先制点を許す苦しい展開から始まった。
しかし、1-2のビハインドだった6回裏に、奥村選手が同点のタイムリースリーベースを放ち同点に追いつくと、再び1点ビハインドで迎えた8回には3番の峯田淳之介さんが同点のタイムリースリーベース。まるで6回の奥村選手を再現したかのような展開だった。
さらに続くランナー3塁のチャンスで4番の奥村選手に回ってきたが、明徳義塾高校は彼を敬遠し、5番の吉岡佑晟さんとの勝負を選ぶ。しかし、吉岡さんは見事にライト前へとはじき返し、逆転に成功。そのまま4-3で勝利を収め、山形県勢初の明徳義塾高校への勝利、ベスト4進出を果たしたのだ。

甲子園での活躍が認められドラフト4位指名

残念ながら続く前橋育成戦では、高橋光成選手(現・西武ライオンズ)に抑え込まれ、決勝進出とはならなかったが、彼らの雄姿は今後も語り継がれていくことだろう。今度は山形県勢として初の優勝を果たしてもらいたいものだ。
ちなみに、奥村選手はその後、同年のドラフト4位で読売ジャイアンツへと入団。その後、FA宣言した相川亮二選手の人的保証として、ヤクルトスワローズに入団。奥村選手のあこがれである宮本慎也さんと同じチームに所属することになった。なんでも奥村選手のお父さんと宮本さんが社会人時代に同僚だったらしく、不思議な縁もあるものだ。今後はぜひとも1軍のショートに定着して、山田哲人選手との二遊間を見てみたい。

まとめ

山形県として初の優勝が期待されている山形日大高校だが、OBには広島東洋カープで4番もつとめていた栗原健太さんなどもいる。今では東北楽天ゴールデンイーグルスの2軍打撃コーチを務めており、今度は東北全体の野球界を盛り上げるべく、後進の育成に励んでいる。こちらにも注目していきたいと思う。