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春の甲子園初代優勝校、高松商業野球部の歴史と戦績

2017 3/8 20:01hiiragi
野球
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Photo by mTaira / Shutterstock.com

甲子園の強豪として名高い、高松商業。春の甲子園では優勝2回、準優勝3回、夏の甲子園でも優勝2回を誇る古豪だ。ここではそんな高松商業野球部について、歴史や成績、卒業者などを紹介する。

古豪としての輝かしい歴史

香川県立高松商業高等学校は、1900年(明治33年)設立の歴史ある高校だ。野球部の創設は1909年(明治42年)と、古豪と呼ぶにふさわしい歴史を持っている。
春の甲子園には1924年(大正13年)の第1回大会から計26回の出場を数え、決勝進出が5度、そのうち、第1回大会と1960年の第32回大会で、優勝を果たしている。夏の甲子園には19回の出場があり、1925年(大正14年)の第11回大会と、1927年の第13回大会で優勝している。その他にも、1958年第13回国民体育大会、2015年の第46回明治神宮大会など、全国規模の大会に優勝実績がある。

第1回から6連続出場の春の甲子園

出場26回を誇る春の甲子園には、第1回大会から第6回大会までを6連続で出場している。これだけでもすごい記録だが、成績も申し分ない。
1回戦で敗れたのは1度だけ、ベスト8が2回、ベスト4、準優勝、優勝がそれぞれ1回だった。その間、夏の甲子園にも3度出場して1925年(大正14年)の11回大会と1927年の13回大会では優勝、1929年の15回大会ではベスト8と、強豪ぶりをいかんなく発揮、高商(たかしょう)の名を全国にアピールした。

史上初の春夏優勝校

1925年と1927年の夏の甲子園全国制覇に貢献したのが、プロ野球阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)の初代主将を務めた宮武三郎さんと、読売巨人軍で監督を務めた水原茂さんだ。
特に1925年の優勝は、夏の優勝旗を初めて本州以外に持ち出すとともに、春と夏の甲子園で優勝した、初めての学校になったのだ。その後2人は共に慶応大学に進み、プロ野球の道に進む。宮武さんは阪急で活躍し、1965年には野球殿堂入りを果たした。水原さんは巨人に入団し選手として活躍した後、監督に就任、一時代を築き1977年に野球殿堂入りを果たしている。

甲子園初、優勝を決めたサヨナラホームラン

春の甲子園では、連続出場が途絶えた後も出場はするものの、これといった成績は残せなかった。1960年第32回大会では、エースに2年生松下利夫投手を擁し、14回目の出場を果たすと順調に勝ち進み、決勝では中国代表鳥取県の米子東と対戦する。
試合は両校エースの好投で投手戦になった。1対1で迎えた9回裏高松商の攻撃、主将を務める山口富士雄選手の一振りは、左翼ラッキーゾーンへのサヨナラホームランとなり、劇的な優勝を飾った。この大会のホームランはこの1本だけ、優勝サヨナラホームランは、甲子園史上初めてという記録的な1打となった。山口選手はこの後、阪急ブレーブスに入団している。

明治神宮枠で出場も、準優勝に終わった2016年春

春の甲子園26回目の出場は、20年ぶりとなった2016年の第88回大会だった。前年の明治神宮大会で優勝、秋季四国大会でも優勝して、満を持して大会に臨む。
1回戦は東海代表三重県のいなべ総合学園に、延長戦の末7-6でサヨナラ勝ちを収めると、準決勝の九州代表熊本県の秀岳館にも延長11回4-2で勝ち、決勝では近畿代表奈良県の智辯学園と対戦する。この試合も1960年第32回大会と同様、息詰まる投手戦となり、1-1のまま延長戦にもつれ込んだ。そして延長11回裏、1点を奪われサヨナラ負けを喫する。今回は勝てなかったものの、56年前を思い出させる投手戦だった。

まとめ

香川県の甲子園常連校、高松商の歴史や甲子園での成績、卒業生に関して紹介した。第1回大会優勝や連続出場など春の甲子園での活躍が素晴らしく、2016年の20年ぶりの出場で古豪復活の感がある。これからも甲子園常連校として活躍してほしい。

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