自己最多14奪三振で無安打無得点
その日、神宮球場に集まった多くの者が知っていた。ここ一番の試合、ここ一番の場面で彼が頼りになることを。
今年7月で34歳、入社12年目を迎えるベテラン右腕。150キロを超える球速もなければ、「ドラフトの目玉」と称されるような華があるわけでもない。
それでもスタンドは酔いしれた。
NTT東日本の‶大黒柱″大竹飛鳥の技、そして投球術に。
2019年6月4日の夜は、そんな彼の醍醐味を感じさせる最高の夜となった。
都市対抗野球東京2次予選の第2代表決定戦。大竹は、明治安田生命を無安打無得点(ノーヒットノーラン)で封じ、チームを4年連続43回目の本大会出場に導いた。
「真っ直ぐも変化球も低めに投げれていましたし、コースにも投げれていたので、あとは(キャッチャーの)保坂がしっかりリードしてくれました」
序盤から持ち前の制球力を駆使しカウント有利の状況を作ると、スライダー、フォーク、ツーシームといった変化球で次々と三振の山を築き上げた。
イニングが進むにつれて、スコアボードのHとRの欄には0が綺麗に並んでいった。スタンドのどよめきが徐々に広がり、3塁側のNTT応援席はやんや、やんやのお祭り騒ぎに。
「おおたけ、さいこー」
彼が三振を奪う度にスタンドからそんな声がこだまする。
この日のストレートの球速は140キロ前後がほとんど。それでもこの日は毎回の14奪三振と初の無安打無得点を記録した。
「そんな獲ったんですか?初ですね」
試合後、彼は頓狂な声を出して笑った。
「大竹に足を向けて寝れないです(笑)」
三振の数をピックアップしたが、本来は打たせて取るタイプのピッチャーだ。
「たまたまですね」という言葉が、試合後の彼の口から何度も出てきたように、ノーヒットノーランどころか完投すら意識していなかった。
飯塚智弘監督の言葉がそれを如実に物語っている。
「(試合前は)考えられなかったですね。何も想像がつかなかったです。大竹が9回まで投げること自体あんまり考えていなかったので…。また、代えるタイミングもないし、(心の中では)早く1本出てくれないかなと思っていたんですけど、フォアボールが出たり、スコアリングポジションにも2回出たりしながら、なんとかそのまま逃げ切ってくれました。大竹に足を向けて寝れないです(笑)」

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1対0というロースコアの決着、そして無安打無得点を続ける自軍エースの交代のタイミングにこの試合の難しさが表れていた。
NTT東日本は基本、「継投」のスタイルだ。
先発投手がゲームを作り、中盤から沼田優雅、末永彰吾、小又圭甫といったイキの良い投手たちを躊躇なく注ぎ込み、そして勝ち切る。2年前の都市対抗野球優勝の際もそうした積極的な継投策が功を奏したし、今季に入ってもそれは変わらなかった。
本来なら大竹もこの勝ちパターンの一人として加わるはずだが、前日の鷺宮製作所との第1代表決定戦で敗れたことで、軌道修正を余儀なくされた。
飯塚監督が言う。
「本当なら勝ち越したら(大竹で)行くというのが、うちの理想(パターン)なんですけど、先に(先取点)行かれるのも怖かったので(先発させました)。大竹にはしばらく休んでもらおうかなと思います。だから試合後に『ゆっくり休め』って言いました(笑)」
殊勲の大黒柱を指揮官も冗談交じりで労った。
ピッチャーは大学から、開花は社会人から
いまやチームになくてはならない存在に成長した大竹だが、ピッチャーを始めたのは意外にも大学に進学してからと遅かった。
愛知高時代はショートを守っていたが、大学受験時、方々のセレクションを受けるも落選し、「ピッチャーの枠なら空いている」という関東学院大の事情を高校時代の監督に聞かされ、急遽、セレクションを受験した。そこが彼の投手としての出発点だ。
素質が開花したのはNTT東日本に進み、安田武一コーチと出会ってからだ。
大学時代は右肘を痛め、手術を受けるなどマウンドに上がること自体難しかったが、社会人野球に進み、安田コーチと出会うと、二人三脚でフォーム改造に取り組んでピッチャーとしての道が拓けた。
2010年の都市対抗野球では初戦の七十七銀行戦で先発を任されると6回まで完全投球。7回に初安打を許し、直後に足がつって降板したが、プロのスカウトからも一目置かれる存在に成長した。
だが、その年も、その翌年も、ドラフト指名は見送られた。これが大竹の野球人生にとって大きなターニングポイントになった。
大竹が当時を振り返る。
「若いときは150キロを投げたいとかもあったんですけど、どうあがいても出なかったですね」
過去の自分について質問が飛ぶと照れくさそうに笑った。
その後、彼は社会人野球で生きて行こうと野球人生を見つめ直した。周囲の人々、特に自社の人達とも積極的に交流することで、社を代表して戦う真の意味を考えるようにもなった。
そして考えた。「勝つ投球」とは何かということを。
コントロール、変化球の完成度、投球術で勝負
奥行きを使って打者のタイミングを外す現在の投球スタイルも、そうした追及を重ねて行く内に徐々に磨かれていったものだ。
「それこそ技術、投球術というのは(年々)上がっているのかなと思います。それだけバッターを見ながら投げれているので、スピードが出ない分、そういうところでカバー出来ているのかなとは思いますね」
そうした自身の投球スタイルについて彼は「姑息な投球」と言って自嘲する。
だが「姑息」とは感じるものの、それを「恥」だとは感じていない。自分を支える周囲の想いを感じ、それをグラウンドで表現するのなら、それは至極当然の事のように思えた。

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ノーヒットノーラン達成前日の第1代表決定戦、鷺宮製作所・野口亮太のピッチングを見て改めて思う所もあった。
「昨日の野口みたいに140キロとか出なくても(試合では)全然抑えられると思うので、(今は)スピードにこだわっていないですね」
正確無比なコントロール、それぞれの変化球の完成度、そして奥行きを使った投球術。二人に共通するのは、その全てがアマチュア最高峰レベルにあるところだ。球速が速いだけでは試合に勝てないが、その三つを極めればじゅうぶんに勝負できる。
後進の見本にもなった自身の投球スタイルに、彼は誇りのようなものも感じている。飯塚監督もそんな大竹について次のように語る。
「やっぱり無名のところから来ている選手なので、(ここに来て)プライドみたいなものが芽生えてきているのかなって思います」
昨年は40回2/3を投げて自責点2。防御率0.44という圧倒的な数字を残し、社会人野球の最優秀防御率賞も受賞。入社12年で積み重ねてきたものが、ようやく一つの形になった。彼が信じて歩んできた道が間違っていなかったことの証明だ。
「行けと言われたところで、自分の仕事をするだけ」
試合後、喜びに沸く選手達を、飯塚監督は少し遠いところから眺めていた。
「やっぱり選手達は凄いなあと思って…。1対0という一番しびれる展開で、僕なんかは居ても立っても居られなかった。そんな中でも(選手達は)本当に堂々とやれている。成長も感じましたし、監督としては何も出来なかったなあって…」
目には薄っすらと光るものが浮かんでいる。都市対抗野球予選という激戦の厳しさがその様子からもじゅうぶんと伝わって来た。
当然、9回まで133球の力投をした大竹への感謝の気持ちもある。だから気持ちを引き締め直したようにこうも続けた。
「今のままでは全国のチームとは戦えないです。整備しながら、新しい戦術も考えながら、これじゃちょっと点も獲れないし、大竹頼みだけじゃ勝てないので」
ここ一番で結果を残した大竹の想いに報いるためにも、更なるチーム力強化を固く誓った。

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7月13日から都市対抗野球の本大会が始まる。目標は昨年逃した「黒獅子旗」の奪回。その道は険しくても、あえてそこに挑戦する。
チームの大黒柱と共に再び駆け上がる頂点。
大竹も次のように語った。
「行けと言われたところで、自分の仕事をするだけなので」
気張らずに、自然体で、どんなときも謙虚な姿勢を忘れずに。そんな彼をファンも、そしてチームの全員が愛している。
喜びに沸くNTT東日本応援団の前で、大竹はチームの仲間達に抱えられ、何度となく宙に舞った。