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平成8年 野茂が日本人初ノーヒッター 【平成スポーツハイライト】

2018 12/24 11:00SPAIA編集部
,野茂英雄,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

「NOMOマニア」生む大フィーバー

昭和では考えられなかったメジャーリーグ挑戦が当たり前になった平成時代。その先駆者が平成7年にドジャース入りした野茂英雄だ。

平成元年のドラフトで史上最多の8球団から1位指名され近鉄に入団した野茂は、「トルネード投法」と呼ばれた上体を捻るフォームから豪速球とフォークを繰り出し、一世を風靡した。

ルーキーイヤーに18勝8敗、防御率2.91の成績を残し、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率、新人王、ベストナイン、沢村賞、MVPなどタイトルを総なめ。その後も4年連続最多勝、最多奪三振に輝くなど、5年間で計78勝、1204三振を奪う大活躍を見せた。

しかし、平成6年オフの契約更改交渉がもつれ、任意引退扱いとなって国内他球団移籍の道が閉ざされた野茂はメジャーリーグ挑戦を決断。翌年2月にドジャースとマイナー契約を結んだ。1億4000万円だった年俸はわずか1000万円足らずにまで下がったが、野茂は自らの右腕だけで道を切り開く。

5月2日のジャイアンツ戦で村上雅則以来31年ぶり2人目の日本人メジャーリーガーとしてデビューを果たすと、6月2日のメッツ戦でメジャー初勝利。24日のジャイアンツ戦では日本人初の完封勝利を挙げ、7月にはオールスターにも出場した。

最終的に13勝(6敗)を挙げ、236三振を奪って最多奪三振のタイトルを獲得。チームの7年ぶり地区優勝に貢献した。「NOMOマニア」という言葉が生まれるなど一躍、海をまたいだフィーバーとなった。

打球が飛ぶ高地の球場で快挙

平成8年のメジャー2年目はさらにトルネードが勢いを増した。7月5日のロッキーズ戦では8回1失点の好投で日米通算100勝を達成。9月1日のフィリーズ戦ではメジャー史上3人目となる1年目から2年連続200奪三振をマークした。

そして、9月17日のロッキーズ戦で日本人初の快挙を成し遂げる。球場が高地にあり、ボールが飛びやすいことから打者有利とされるクアーズ・フィールド。雨で2時間以上遅れ、試合が始まった午後9時頃は気温5度まで下がっていた。

序盤、制球に苦しんだ野茂は3回からセットポジションに変更。制球とテンポが良くなり、以降は淡々とアウトを積み重ねた。9回表終了時点で9-0。試合の大勢は決しており、地元ファンの関心はロッキーズが屈辱のノーヒットノーランを許すかどうかに移っていた。

セカンドゴロふたつでツーアウト。打者バークスの5球目、この日の110球目は、思い切りスイングしたバークスをあざ笑うかのように、ストンと落ちてバットの下をすり抜けた。ノーヒットノーランを達成した野茂は小さくガッツポーズ。捕手のピアザらナインがマウンドに駆け寄って祝福すると、敵地のファンもスタンディングオベーションを送った。

レッドソックス時代に2度目のノーヒッター

野茂はこの年、チーム最多の16勝をマーク。その後もレッドソックス時代の平成13年には、2度目のノーヒットノーランを達成するなど、平成20年に引退するまでメジャー通算123勝を挙げた。日米通算では201勝、奪った三振は実に3122個に上る。

引退後は社会人野球チームが続々と廃部になる状況を憂い、「NOMOベースボールクラブ」を設立。学校を卒業後も野球を続けたい若者の受け皿となり、プロ野球選手も輩出している。また、平成28年からはサンディエゴ・パドレス アドバイザーも務めている。