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平成4年 星稜・松井5打席連続敬遠【平成スポーツハイライト】

2018 12/30 07:00SPAIA編集部
松井秀喜,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

3年春、広くなった甲子園で2打席連発

平成の高校球史で、スラッガーとして真っ先に名前が挙がるのは松井秀喜だろう。通算本塁打数だけを見れば上には上がいるが、一度もバットを振らずに強烈なインパクトを残したのは松井だけだ。

石川・星稜高校で1年生の時から4番を打ち、2年夏の甲子園では特大の本塁打を放つなど大暴れして4強進出に貢献。さらに3年春のセンバツ初戦の宮古戦、ラッキーゾーンが撤去されて広くなった甲子園で2打席連続本塁打、大会タイ記録の7打点を挙げて桁違いのパワーを見せつけた。2回戦でも2試合連発となる本塁打を放ち、チームを8強進出に導いた。

そして平成4年(1992年)、迎えた最後の夏。石川大会を順当に勝ち上がり、甲子園初戦の相手は長岡向陵だった。松井は本塁打こそなかったものの強烈な三塁打を放ち、チームも先発全員の17安打で大勝。2回戦の相手は馬淵史郎監督率いる高知の強豪、明徳義塾だった。

2死走者なしでも勝負してもらえず

真夏の太陽も松井見たさに輝きを増したかのような、強烈な日差しが照り付けた明徳戦。初回2死三塁で松井が第一打席に立つと、明徳先発の河野和洋はストライクゾーンから大きく外れるボールを4球続けた。3回の1死二、三塁でも同様だった。

5回の打席は1死一塁と、通常なら歩かせる場面ではないにもかかわらず、またも完全なボールが4球続いた。スタンドがどよめく。

明徳が3-2と1点リードで迎えた7回、2死無走者で松井に打席が回ってきた。なんとこの場面でも明徳バッテリーは明らかなボールを4球。さすがにスタンドから高校野球では珍しいヤジが飛んだ。

そして迎えた最終回2死三塁。これまで同様に河野がボール球を投げると、星稜応援団が陣取る三塁側アルプススタンドからはメガホンがグラウンドに投げ込まれ、怒号に包まれる異様な光景となった。試合は一時中断し、星稜の控え選手らがメガホンなどを拾いに走った。

結局、次打者が凡退し、星稜の、松井の夢は潰えた。ただ20球のボールを見送っただけの最後の夏だった。

秋の国体で見事に優勝

星稜に勝った後、明徳ナインが宿泊していた宿舎には抗議や嫌がらせの電話が相次いだという。精神的に追い詰められたのか、3回戦で明徳は広島工に0-8で完敗した。この夏、優勝したのは西日本短大付だった。

逆に秋の国体に選ばれた星稜は、決勝の尽誠学園戦で松井が高校通算60号本塁打を放ち、見事に優勝を飾った。