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平成6年 イチロー史上初の200安打【平成スポーツハイライト】

2018 12/25 11:00SPAIA編集部
野球ボール,ⒸShutterstock.com
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センス抜群だった「鈴木一朗」

平成の野球界を振り返ると、必ずイチローの名前に突き当たる。まさに平成とともに歩んだスーパースター。今ではメジャーリーガーからも尊敬される偉大な選手となったが、初めて世間の注目を浴びた平成6年を振り返ってみたい。

愛工大名電からオリックスに入団した「鈴木一朗」は1年目から打率.366でウエスタン・リーグ首位打者に輝き、ジュニア・オールスターでMVPを獲得するなど打撃センスを高く評価されていた。プロ初本塁打は2年目、当時近鉄の野茂英雄から放っている。

プロ3年目の平成6年、就任したばかりの仰木監督は新進気鋭の好打者を売り出そうと、登録名を「イチロー」に変更し、大きな話題となった。指揮官の期待に応えるように開幕から打ちまくったイチローはレギュラーに定着し、右足を振り子のように上げる独特のフォームは「振り子打法」と呼ばれるようになった。

5月から8月にかけてプロ野球新記録となる69試合連続出塁をマーク。9月11日にはプロ野球タイ記録の1試合4二塁打を放ち、同14日には、昭和25年に初代ミスタータイガースと呼ばれた藤村富美男がマークしたプロ野球記録、シーズン191安打(140試合制)を抜き去った。

記念すべき1本はロッテ・園川から

迎えた9月20日のロッテ戦。地元・神戸のファンの前で、ついに前人未到の領域に上り詰めた。

1、3回の打席でヒットを放ってシーズン200安打に王手をかけたイチローは、6回の第3打席で左腕・園川のボールを弾き返し、ライトオーバーの二塁打。二塁ベース上で記念プレートを掲げるニューヒーローに、ロッテのショート南渕、セカンド五十嵐が握手で祝福した。1万5000人のファンも敵、味方関係なく称えた。

最終的に安打数は210本(130試合制)まで増え、打率.385で首位打者を獲得。さらに最高出塁率、ベストナイン、ゴールデングラブ賞、正力松太郎賞を獲得し、打者としては史上最年少でシーズンMVPに輝いた。

翌年1月17日、阪神淡路大震災が起こる。イチローも神戸にあったオリックスの寮で被災した。「がんばろうKOBE」を合言葉に一致団結したオリックスは見事にリーグ優勝。イチローは首位打者(.342)、打点王(80打点)、盗塁王(49個)、最多安打(179安打)、最高出塁率(.432)で五冠王に輝いた。

この年は日本シリーズでヤクルトに敗れたが、翌平成8年にはリーグ連覇し、日本シリーズでも巨人を圧倒、日本一に輝いた。オリックスはこの年以来、現在まで優勝から遠ざかっている。

メジャー記録も塗り替える大打者に

その後のイチローの活躍は説明するまでもないだろう。平成12年まで7年連続首位打者を獲得し、同年オフに日本初のポスティングシステムでマリナーズに移籍。メジャー1年目から242安打、打率.350をマークした。

平成16年には262安打を放ち、シスラーのシーズン安打記録を更新。打率.372でメジャーでは3年ぶり2度目の首位打者にも輝いた。現在までメジャー通算3089安打、日米通算4367安打と日本人には未知の領域に達しているイチロー。現在はマリナーズの会長付特別補佐という立場だが、2019年3月、日本で開催される開幕戦に出場するという噂もあり、再びユニフォーム姿を見られるかも知れない。