セ・リーグで背番号7を背負った選手たち
まずは21世紀以降で背番号7を背負っていた選手を紹介しよう。
まずはセ・リーグから。
■巨人:2人
長野久義(2010年) 二岡智宏(00-08年)
■阪神:3人
西岡剛(13年) 藤川俊介(10-12年) 今岡誠(97-09年)
■中日:7人
森野将彦(14年) 山崎武司(12-13年) 佐伯貴弘(11年) セサル(10年)
李炳圭(イ・ビョンギュ、07-09年) 川相昌弘(04-06年) 谷繁元信(02-03年)
李鍾範(イ・ジョンボム、99-01年)
■広島:2人
堂林翔太(13年) 野村謙二郎(89-05年)
■ヤクルト:3人
田中浩康(05年) マーチン(04年) 浜名千広(02-03年)
■横浜:3人
石川雄洋(10年) 仁志敏久(07-10年) 鈴木尚典(98-06年)
以上20人。こうしてみると中日の7人というのが異質だ。しかも生え抜きは森野選手くらいで、ほとんどが外国人選手もしくは他球団からの移籍選手に与えられている(山崎武司選手は出戻り)。
パ・リーグで背番号7を背負った選手たち
では続いてパ・リーグで7番を背負った選手たちだ。
■ホークス:5人
中村晃(15年) バリオス(13年) 立岡宗一郎(09-11年)
大村直之(05-08年) 井口資仁 (97-04年、 01年に忠人から改名)
■西武:3人
脇谷亮太(14-15年) 片岡易之(05-13年、現在は治大に改名) 松井稼頭央(97-03年)
■日ハム:6人
西川遥輝(16年) ハーミッダ(15年) 大引啓次(13-14年)
糸井嘉男(11-13年) 坪井智哉(03-10年) 中村豊(96-02年)
■ロッテ:3人
鈴木大地(14年) 西岡剛(03-10年) ボーリック(99-02年)
■オリックス:6人
糸井嘉男(13年) 赤田将吾(12-13年) 浜中治(08-10年)
水口栄二(05-07年) 日高剛(04年) 進藤達哉(01-03年)
■楽天:2人
松井稼頭央(12年) 山崎武司(05-11年)
■近鉄:1人
大村直之(99-04年)
以上26人。このうち松井稼頭央選手、糸井選手、大村選手、西岡選手、山崎武司選手が複数球団で背番号7をつけているので、セ・パ合わせると合計で41人になる(21世紀以降に背番号7を背負った選手ということで、近鉄バファローズも入れてみた)。
懐かしい名前もちらほらとみられる。
背番号7はリードオフマンタイプが多い?
さて、全球団の背番号7を挙げてみたが、とりわけ俊足巧打でリードオフマンタイプの選手が多い。1番じゃなくても3番を打てる選手が多いというのも特長だろうか。実際に首位打者や最多安打、盗塁王のタイトルを獲得した選手が多く、先ほどの42人の中からざっと挙げてみただけでも、
■長野久義(巨人)
2011年:首位打者
2012年:最多安打
■今岡誠(阪神)
2003年:首位打者
(2005年:打点王)
■野村謙二郎(広島)
90年:盗塁王
91年:盗塁王・最多安打
94年:盗塁王・最多安打
95年:最多安打
■鈴木尚典(横浜)
97年:首位打者
98年:首位打者
■井口資仁(ホークス)
01年:盗塁王
03年:盗塁王
■大村直之(ホークス)
06:最多安打
■中村晃(ホークス)
14年:最多安打
■松井稼頭央(西武)
97年:盗塁王
98年:盗塁王
99年:盗塁王・最多安打
02年:最多安打
■片岡易之(西武)
07:盗塁王
08:盗塁王
09:盗塁王
10:盗塁王
■西岡剛(ロッテ)
05:盗塁王
06:盗塁王
10:最多安打・首位打者
■西川遥輝(日ハム)
14:盗塁王
■糸井嘉男
14:首位打者
なんと12人もタイトルを獲得しているのだ。ちなみに、ホームラン王を獲得したのは山崎武司さん1人だけだ。やはりこういったデータから見ても、リードオフマンタイプが背番号7を背負うことが多いといえる。
背番号7=リードオフマンはいつから?
では、いつからリードオフマンタイプが背番号7を背負うことが多くなったのだろう。昭和で背番号7の名選手といえば、やっぱり世界の盗塁王、福本豊だろうか。1970年から82年まで13年連続盗塁王。通算1065盗塁はもちろん日本記録だ。
また、最多安打を4度記録したこともある技術に加えて、リーグ最多四球も6度記録。まさに理想的なリードオフマンだ。3年目から引退後のコーチ時代まで背番号7を背負い、オリックスが近鉄と合併するまでは永久欠番扱いになるほどの活躍をした選手だ。
それ以前にも、巨人のV9時代のリードオフマン、柴田勲が背番号7を背負っていた。柴田は打率3割こそ記録したことはないものの、通算2000本安打を記録した名選手。67年にはいまだセ・リーグ記録である70盗塁を記録し、その足で巨人打線を牽引する存在だった。背番号7は1970年から引退する81年まで。当時の巨人の人気を考えると、日本で最も有名なリードオフマンであり、最も有名な背番号7の選手だったのではないだろうか。
おそらく「背番号7=リードオフマン」というイメージが定着したのはこの辺りからだと思われる。もっと言うと、1950年代の巨人で与那嶺要が背番号7のリードオフマンとして活躍していたので、球界にはもっと前からそういったイメージがあったのかもしれないが…。一般的に定着していったのは、やはり柴田・福本の時代からだろう。
まとめ
背番号1はチームリーダー的存在だったり、背番号3や5はスラッガーの番号だったりと、それぞれの番号に合った選手のイメージがあるが、やはり7番はリードオフマンがよく似合う。打って良し、走って良し、守って良し、そんな選手にこの7番を背負ってもらいたいものだ。