高校野球における背番号6
日本の高校野球で初めて背番号が導入されたのは、1931年の第8回選抜中等学校野球大会(現在の春の選抜)だった。通常は遊撃手がつけるのが一般的。レギュラーが一桁番号をつけ、10番は二番手投手などが多いが、厳密に決まりがある訳ではない。
ちなみに少年野球の場合には団体によっても異なるが、10番は主将であることが一般的。大学野球の場合、東京六大学リーグなどでは主将が10番をつけるが、東都大学リーグなどでは1番が主将の番号となっている。特に早稲田大学では、正捕手が背番号6をつける伝統がある。
巧打者の時代
プロ野球においては、どの選手が何番をつけても自由。ポジションによって決まりがある訳でもない。ただ、少年時代にあこがれていた選手の番号をつけたい、と思うのはプロ野球選手にとっても普通のことだろう。
背番号6の巧打者として挙げられるのが、阪神タイガースに在籍した藤田平選手だ。阪神タイガースにの生え抜きとして初めて2000本安打を放ち、名球界入りした選手だ。
ほぼ同じ時代に巨人で活躍したのが土井正三選手。主に2番を打ち、長島、王へとつなぐ役割を果たしてV9に貢献した一人となった。
その土井正三選手から背番号6を受け継いだのが、篠塚利夫選手。巧みなバットコントロールと華麗な守備で、まさに玄人好みの巧打者だった。
万能型の系譜
メジャーリーグで優れたプレイヤーであることを示す指標として、ファイブツールという項目が挙げられる。ヒットを打つ確率、パワー、走塁技術とスピード、守備力、送球能力の5つの項目だ。すべてに突出するのは困難だが、バランス良く兼ね備えているのがよい選手とされる。イチロー選手などはまさにこのファイブツールプレイヤーと言えるだろう。
日本球界に目を向けてみると、日本プロ野球史上7人目のトリプル・スリーを成し遂げた金本知憲選手が挙げられる。阪神に移籍してからの背番号が6だった。
他に背番号6の万能型の選手には、オリックス・ブルーウェーブに所属していた田口壮選手や、千葉ロッテマリーンズの井口資仁選手がいる。2人ともメジャーリーグで活躍した選手でもある。
強打者の系譜
野球の華はなんと言ってもホームランだ。息詰まる投手戦も楽しいだが、球場ではやはりホームランが出ると盛り上がる。
背番号6の強打者というと、日本ハムファイターズの柏原純一選手も外せない。OPS(長打率+出塁率)も高かった。
同じ背番号6を今、日本ハムでつけているのが中田翔選手だ。豪快な打撃と風貌に似合わぬ人柄の良さで、北海道のファンの心を鷲掴みにしている。
他には、松坂大輔投手と横浜高校で一緒だった後藤武敏選手も、ここぞのところで放つ一発が魅力的な選手。今でも大事なところで活躍する名脇役だ。
三冠王の系譜
背番号6の三冠王と言えば、落合博満選手だろう。長い日本のプロ野球の歴史で3度にわたって三冠王になった選手は落合を除いてほかにはいない。阪神タイガースに在籍していたランディ・バースと、巨人の王貞治が2回ずつ達成しているが、全部で7人しか達成していない。
ちなみに、1985年の成績を見てみると、ランディバースが打率.350、本塁打54本、打点134に対し、落合は打率.367、本塁打52本、打点146と二人ともすさまじい数字を残している。ちなみに翌年のバースの打率は.389だった。
また、背番号6の強打者として忘れてはならないのが中西太選手だ。三冠王は惜しくも取れなかったが、中西の活躍によって、三冠王という言葉が人口に膾炙されたほどだ。現役時代には数々の伝説を残し、引退してからは多数の打者を育て上げた。