世界陸連発表の新ルールに桐生も戸惑い
陸上長距離界で好記録が相次ぎ、世界的な議論の的になっていたスポーツ用品メーカー大手ナイキの「厚底シューズ」を巡り、ワールドアスレチックス(世界陸連)は1月31日、現行の市販されている「ヴェイパーフライ(VF)」シリーズは東京五輪や代表選考レースで条件付きの使用を認める新ルールを発表した。
一方、男子の世界記録保持者、エリウド・キプチョゲ(ケニア)が昨年秋の非公式レースで人類初の2時間切りとなる1時間59分40秒を出した際に履いた未発売の特注品「超厚底」の「アルファフライ」は禁止される対象となった。
4月30日以降に発売される製品は4カ月経過しなければ公式戦で使用できない新規定も設けられ、新製品を審査する専門家を集めたワーキンググループも立ち上がる。
今回の新ルールは走り高跳びと走り幅跳びは該当しないと明記されているが、試作品や特注品が禁止となると、日本のマラソンでトップ選手を支えてきた職人による特注シューズは禁止となるのか。さらに短距離でも常識を覆す革新的なスパイクの開発が着々と進んでおり、男子100メートルの前日本記録保持者、桐生祥秀(日本生命)が「秘密兵器」として東京五輪に向けて使用するアシックス開発の特注品「ピンなし」スパイクにも飛び火するのか疑問点も少なくない。「4カ月前」を遵守するのであれば、市場に出す時期を急ぐ必要も想定され、混乱が続く可能性も出ている。
桐生は自身のツイッターで「このタイミングで急すぎる。結果どーなるかが気になる。その判断によってはこっちも準備があるから」と戸惑う胸の内を明かした。
3ミリ巡る攻防、反発係数示さず批判も
世界陸連は専門家による検証チームで調査を重ねた結果、緊急措置で①靴底の厚さは40ミリ以下②反発力を生む埋め込みのプレートは1枚まで③スパイク付きの靴底は厚さ30ミリ以下④4月30日以降の大会で使う場合、4カ月前から市販されているものに限る―などとした規定を設けた。

今年の箱根駅伝などで話題となった厚底シューズの第3モデル「VFネクスト%」は厚さ最大37ミリで反発を生むカーボンファイバー(炭素繊維)のプレートも1枚のためルール範囲内。日進月歩の技術革新と競技の公平性に関する論争はまさに「3ミリを巡る攻防」で一応の決着が図られた形だ。
ただし、内部のプレート素材はどこまで反発力が許されるのか、明確な規定はなく、具体的な反発係数を示して規制すべきとの反論も出ている。英紙ガーディアンは専門家の意見として「新ルールは不十分で対応が遅すぎる。これはドーピングと同じで、単純に不正だ」と批判的なコメントを掲載した。
市販と特注品で線引き
「靴が不公平な助力や利益を生まないように規制し、競技のインテグリティーを守ることはわれわれの責務。五輪イヤーに入り、一般に出回っている靴は排除できないが、現在流通している製品の性能を上回るシューズの使用を禁止して一線を引くことはできる」。世界陸連のセバスチャン・コー会長が公表した緊急声明は、市販品と特注品の間で線引きすることで過熱する技術革新の競争に「待った」をかけた形だ。
緊急措置でルール改正に踏み切った今回の引き金は、ナイキが東京五輪に向けて実用化も進めていた「超厚底」といわれている。キプチョゲのために最先端技術を結集して開発されたVFシリーズの第4モデル「アルファフライ」で、3枚のカーボンプレートが搭載されたものだ。
「さすがに限度がある」「これ以上やるとバネをつけて走るのと一緒」と国内外で賛否の声が渦巻き、世界陸連の検証チームが調査を開始。スポーツの記録は道具の進歩と共に伸びてきた背景があり、それを全面的に止めるのはナンセンスだが、今回の新ルールは違反が疑われる場合、審判は選手に検査のため靴を提出するよう要求できる条件も設けた。コー会長は「規定の見直しにより、東京五輪では正しいバランスを保てると信じている」との見解を示した。
厚底シューズは一大ビジネス、対応次第で訴訟も
世界的なマラソンブームで今やシューズ産業は一大ビジネスである。英メディアも世界陸連の対応次第では巨額な訴訟問題に発展する可能性も指摘しており、今回の規制は五輪へ準備を進める選手とメーカーに配慮しつつ、ぎりぎりの落としどころを探った結果だろう。
一方でコー会長は「さらにルールを厳格化する必要がある証拠が出てくれば、スポーツを守るために行動する権利を持っている」とも付け加えた。
ナイキの独壇場といえた「厚底」シューズ市場はライバル社も参入し、靴底の厚さに加えて軽さと安定感、クッション性のバランスを考えて続々と新たな試作品が登場している。技術革新は企業努力のたまものだが、不公平な「助力」や「利益」を認めないことはスポーツの本質。今回一定の基準は設けられたが、しばらく目が離せない展開が続きそうだ。