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平成の名伯楽・小出義雄氏が女子マラソンに残したもの

2019 5/15 15:00鰐淵恭市
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2019年4月24日、名指導者・小出義雄氏が逝去

平成という時代があと数日で終わるという時に、平成を代表する指導者が逝った。

2019年4月24日、マラソン指導者の小出義雄氏が亡くなった。享年80歳。2000年シドニー五輪で日本マラソン史上初の五輪金メダリストとなった高橋尚子を指導し、その二人三脚ぶりで有名になった。

豪放磊落。ヒゲがトレードマークで、いつもガハハと大きな声で笑う。酒を好み、誰隔てなく、話しかける。いつも彼の周りには人が集まった。

筆者はそんな小出氏の性格に救われた。取材でお世話になったのは小出氏が「超」が付くぐらい有名になってからなのに、昔から知っていたかのように仲良く話してくれる。米国の合宿所にお邪魔したときも嫌な顔を一つもせず、取材に協力していただいた。

平成の時代、小出氏はその明るいキャラクターとともに、日本の女子マラソン界に輝かしい歴史を残した。改めて、小出氏が成し遂げた偉業について振り返ろうと思う。

女子マラソンの時代到来を予感

千葉県出身。地元の山武農業高校を卒業後は家業の農業に従事していたが、箱根駅伝が走りたくて、22歳で順天堂大へ入学。指導者になる前の経歴からして異色である。

大学卒業後に実業団の指導者になったわけではなく、最初は千葉県内の公立高校の教師になっている。

小出氏の功績の一つは、女子マラソンにいち早く目を向けたということであろう。

女子マラソンが五輪の正式種目になったのは1984年ロサンゼルス五輪から。だが、小出氏は佐倉高校の教師だった1982年に、自身の教え子である女子選手をマラソンに出場させ、日本歴代2位のタイムをマークさせている。

この大会には同じ千葉県内の成田高校から、後の五輪代表となる増田明美が出場し、日本最高をマークしたことから、小出氏とその教え子が注目されることはなかった。だが、まだ、女子マラソンが脚光を浴びる前から、「女子マラソンなら世界で勝負できる」と考え、女子選手にあった練習方法を考えていたという。

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