アメリカでプロランナーに
今大会前、今夏の世界選手権男子マラソンで9位に入った川内優輝(埼玉県庁)が、出場選手を「箱根駅伝のアイドル軍団」と評したが、大迫もまさにそのアイドル軍団の一員である。
東京出身ながら、高校は名門の長野・佐久長聖に進み、全国高校駅伝で優勝。その後、早稲田大に進み、大学駅伝3冠や、ユニバーシアードの1万メートルで優勝するなど、エリート街道を歩んできた。
大学卒業後の2014年に日清食品グループに入社。それ以前の大学駅伝のスターが進んだように日本の実業団で駅伝とマラソンに取り組むかと思いきや、1年で退社。世界の猛者が集まるナイキ・オレゴンプロジェクトに参加し、プロランナーになった。
日本の長距離の弊害とも言われる駅伝を走らなくていい環境に身を置き、大迫は成長していく。2015年に5000メートルの日本記録を樹立。2017年4月に初マラソンとなるボストン・マラソンで、日本選手としては瀬古利彦さん以来30年ぶりの表彰台となる3位に入った。
今年の6月、筆者が瀬古さんとタクシーで同乗した際、東京五輪へ期待する選手として、真っ先に大迫の名を挙げていたのを思い出す。そして、その思いに応える走りを大迫は福岡で見せてくれた。
かかとをつけずに走る
「100%の力を出し切るだけ」。そう語っていた大迫がポテンシャルの高さを見せつけたのは、そのレース展開だった。
2時間6分前半が狙えるペース設定の中、常に先頭集団で走り続けた。ペースメーカーが30キロでいなくなり、レースが動いた直後の32キロ過ぎに先頭から遅れたものの、ハイペースをものともしない走りを見せた。
中継のテレビで紹介されていたが、大迫の走りはフォアフットと呼ばれる、足のかかとをつけずに前の部分だけを接地させるものである。アフリカ勢などに多く、スピードが出る走方であるが、日本選手にはなかなかできない。アフリカ勢とは骨格、特に骨盤の傾きが違い、スピードのある走りが苦手な日本人に不向きである。さらに、足の筋力も要求される。が、それを大迫はやってのけ、それが大迫のスピードの源となっている。
これも、テレビ中継で言っていたが、大迫はマラソン用に走りを変えていたようにも思う。トラックを走る時はもう少し体を前傾させ、はねるように走る。が、マラソンでは効率を求め、体を少し垂直に近づけ、はねる動きを抑えていた。考えて走り方を変えているのか、練習で自然に身についたのか分からないが、マラソンに適した走りに変化していた。
ストイックな競技への姿勢
32キロ過ぎに先頭から遅れたものの、その後、大きく崩れなかったのも大きかった。一時は4位を走っていたが、粘って3位に浮上。2位に入った、2012年ロンドン五輪、2013年世界選手権優勝のスティーブン・キプロティク(ウガンダ)とは9秒差だった。
レース直後の大迫は、さほど喜びを表さなかった。「自己ベストが出てうれしい。もう少しトップ争いに入れれば良かったんですが、粘れたので良かった。東京五輪についてはまだ具体的に考えていない。目の前のレースに集中したい」
大迫は誤解を恐れずに言えば、見た目とは違って、競技に対してストイックであり、あまり多くを語らない選手である。大迫の代理人の紹介で大迫本人に話をしたが、本当に口数が少なかった。
東京五輪選考会となるマラソングランドチャンピオンシップまで2年もある。これからさらなる力をつける時間が十分にある。大迫のこれからに期待である。