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日本人初の9秒台を達成した桐生10秒01からの4年を振り返る(4)

2017 9/29 10:43きょういち
陸上競技
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出典 Nigel Lee / Shutterstock.com


日本人初の9秒台を達成した桐生10秒01からの4年を振り返る(3)

 2013年4月の織田記念で、17歳ながら日本歴代2位の10秒01をマークした桐生祥秀は一躍時の人となった。

 それまでの自己ベストを0秒18も更新。自分でも予想外のタイムだった。

 10秒01の走りをよく見れば分かるのだが、最後の10メートルぐらいは体勢が崩れている。上半身が前につんのめり、左肩を回すようにして、フィニッシュラインを通過している。

 「フィニッシュが速すぎたんじゃないんですかね。ちゃんとフィニッシュをしていれば9秒台だったんじゃないでしょうか」

 筆者の記憶が正しければ、こういう風に語る自称「陸上好き(厳密に言うとマラソン好きか)」のワイドショーのキャスターもいたが、実情は違った。

 「スピードに下半身がついていかなかったんです」

 そう桐生は後に話してくれた。

 未知のスピードに体をうまく制御できなかった。スピードに乗り、どんどん前に行こうとする上半身に対し、下半身はかつて感じたことのないスピードの中で、うまく足をさばききれなかった。

 そんな状況で出た10秒01。まさに予想外の好記録。日本高校新、ジュニア日本新。そして、風力計さえ、基準を満たしていれば、ジュニア世界タイ記録でもあった。(レース直後はジュニア世界タイとアナウンスされたが、後日、このジュニア世界タイ記録は取り消された)

 高校2年生の秋の時は、翌年の目標を「10秒1台前半」としていた桐生。10秒01という記録は、自身も予想だにしなかった記録だった。それが彼を苦しめていく。

期待と17歳の心の乖離

 10秒01を出した後のレースは、約1週間後の5月5日に訪れた。海外選手とも走る国際大会のゴールデンプランプリ東京大会。桐生にとっては、初めての海外選手への挑戦だった。

 「見たことのない世界。しっかり走りたい。もう1回、10秒0台を出せれば」。レース前にはそう語っていた。

 結果は10秒40で3位だった。タイムはいまいちだったが、向かい風1.2メートルと条件に恵まれなかった。このころは「外国人は後半の伸びが違うな」と語る余裕もあった。

 いつ、日本人初の9秒台が出るのだろう。桐生への期待はどんどん高まっていった。

 次の100メートルのレースは、6月2日のインターハイ京都府予選だった。記録は10秒31の大会新記録。風は向かい風0.1メートル。個人的な印象だが、10秒01を出して以降、桐生が2017年9月に9秒98をマークするまで、条件に恵まれた時が少なかったと思う。特に調子がいいときに限り、向かい風が吹いていたように思う。

 このレースぐらいからだっと気がする。桐生が9秒台で走れないたびに観客からは、大きなため息がもれるようになった。

 見ている方の期待が分からないでもない。でも、その期待と、17歳の心には乖離が生まれていく。

観客からのため息に折れていく心

 桐生が高校3年生のシーズンを終えた後だったが、東洋大に入った直後だったかは不明なのだが、こう言ったのを覚えている。

 「10秒1台とか、いい記録で走っても、9秒台でないと観客からため息が聞こえる。それがつらかった」

 高校3年生が、日本中の期待を一身に浴びるのだから、その重圧は推して知るべしである。

 桐生が一躍注目を浴びるきっかけになった2013年4月の織田記念での10秒01。そのレース後、桐生は京都・洛南高の部室の黒板に目標を書いた。

 「9秒96」

 その数字は勘で書いた。深く考えてはいないという。

 でも、いつしか、彼は「9秒台」ということを口にしなくなった。目標は「勝つこと」になっていた。

 「9秒台を出しても負けたら意味がない」

 よく、そう言っていた。黒板に書いた9秒96の数字は口から出ない。不自然なぐらいに、だった。

 「自分にプレッシャーをかけないためだった」

 そう思い出すのは、洛南高陸上部の柴田博之監督である。

 17歳の少年は、重圧と闘っていた。

(続く)