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日本陸上競技界の聖地!国立霞ヶ丘競技場を余すところなく紹介

2017 7/10 10:25TANANA
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全国霞ヶ丘競技場の記念郵便切手

Photo by Nicescene/Shutterstock.com

1964年東京オリンピックのメイン会場となって以来、陸上競技界では「聖地」と呼ばれている国立霞ヶ丘競技場。 2020年東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて新国立競技場として生まれ変わる予定だが、今回はこの競技場が聖地と呼ばれるようになった訳を探っていきたい。

戦後日本復興の象徴となった国立霞ヶ丘競技場の誕生

1945年、第二次世界大戦終結後の日本は疲弊しきっていた。一刻も早い戦後復興が課題となっていたが、その象徴になり得るべき存在が「平和の祭典」であるオリンピックだったのだ。
日本にオリンピックを招致すべく、実績を作る必要のあった関係者は、1958年の第3回アジア競技大会で国際的なアピールをするため、東京・青山の明治神宮外苑競技場の跡地に大規模な陸上競技用スタジアムを急ピッチで建設した。このスタジアムは大会本番2ヶ月前に完成し、それが当時アジア最大規模となる「国立霞ヶ丘競技場」だったのだ。

東京オリンピック成功を機に「聖地」と化した国立霞ヶ丘競技場

思惑通りアジア競技大会は大成功をおさめ、1964年「東京オリンピック」の招致にもつながる。そのオープニングで7万人の大観衆が見守る中、聖火台に火がともった。この模様はオリンピック史上初めて全世界に衛星中継され、まさにこの瞬間、世界中に「日本復興」をアピールする聖地となったのだ。
実際の競技でも、当時「マラソン史上最強」とうたわれたエチオピア出身のアベベ・ビキラ氏が当時の世界記録で優勝したり、「褐色のスプリンター」と称されたボブ・ヘイズ氏が100mを10秒ジャストというやはり当時の世界タイ記録で金メダルを獲得するなど、全世界を熱狂の渦に巻き込んだ。

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