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激しくも華麗なる戦い。陸上競技におけるライバル選手の争いを紹介!

2017 7/10 10:25TANANA
ウサイン・ボルト選手
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Photo by spatuletail/Shutterstock.com

自分自身との戦いでもある陸上競技だが、常に上位を争うライバルの存在があると、観戦する側にとってはその戦いがより華麗なものに映る。 今回は、レジェンド級選手たちの激しいライバル関係を紹介することで、陸上競技の新たな魅力を探っていく。

1980年代のマラソン界をけん引した瀬古利彦氏と中山竹通氏

学生時代から陸上競技界において特筆すべき実績を残していた瀬古利彦氏。1977年よりマラソンに本格参戦するとメキメキ頭角を現し、国内外で数々の記録を残し優勝を果たしていくのだ。しかし1980年代になると、最大のライバルが現れる。1984年の福岡国際マラソンで初優勝し、瀬古氏に迫る勢いを見せた中山竹通氏だ。
その後、お互い抜きつ抜かれつの結果を残したが、ターニングポイントとなったのが1988年のソウルオリンピックだった。結果は中山氏が4位、瀬古氏が9位だったが、レース終了後にお互いに握手を交わし、世代交代が行われた瞬間とも言われたのだ。

代表選考の過程でライバル関係となった有森裕子氏と松野明美氏

1990年、91年の大阪国際女子マラソンで2年連続日本人最高記録を樹立した有森裕子氏は、92年のバルセロナオリンピックで女子マラソン代表の有力候補だった。しかし、その選考過程で物議をかもすことになる。92年の同大会において2位に入った松野明美氏の成績がそれまでの有森氏の成績を上回っていたため、どちらが代表になるかで大きな議論を呼ぶことになったのだ。
最終的には有森氏がそれまでの実績と経験を買われて代表に選ばれ、バルセロナにおいて女子マラソン界64年ぶりの銀メダルを獲得するという結果を残したが、両者は和解に至るまで約20年の歳月を要した。

女子短距離界でお互いを高め合った福島千里選手と高橋萌木子選手

アジア選手権などで数々の金メダルを獲得し、女子短距離界をけん引する福島千里選手だが、学生時代から強力なライバルの存在があった。中学3年生の大会で知り合って以来、友人関係でもある高木萌木子選手だ。
高校時代は高木選手が優勢だったものの、それ以降は福島選手が巻き返すなど、全く互角の争いを見せ、2人とも日本新記録を次々樹立するなどお互いを高め合っていった。
その後、福島選手は世界レベルの活躍を見せ、高木選手はケガなどもあり思うような結果を残せていないが、いつか再び同じフィールドで2人のライバル関係が始まることだろう。

桐生祥秀選手と山縣亮太選手、日本陸上界のホープは良きライバル関係!

高校3年時に100mで10秒01を記録し、日本人で最も9秒台に近い男と呼ばれている桐生祥秀選手。一方、山縣亮太選手は大学時代に徐々に頭角を現し始める。両者は何度も直接対決をし、戦績も一進一退となっている。
そしてそんなライバル関係にある両者が手を取り合ったのが、2016年のリオオリンピックだった。100m個人戦では両者とも予選で敗退したものの、400mリレーでは山縣選手が第1走者、桐生選手が第3走者を担当し、見事なバトンパスで銀メダルを獲得したのだ。
時にはライバル、また時には日本代表のチームメートとしての関係性が今後も注目される両者だ。

世界トップレベルのライバル関係!ボルト選手とガトリン選手

オリンピック100m走3連覇を果たすなど、短距離界向かう所敵なしのジャマイカ出身ウサイン・ボルト選手だが、彼もライバルと切磋琢磨することで今の地位を築きあげたと言っても過言ではないだろう。
特に注目されるのが、アメリカ出身のジャスティン・ガトリン選手だ。2004年のアテネオリンピック100mで金メダル獲得後、年齢を重ねるごとにパフォーマンスをあげていった。2008年北京オリンピックを機に王者の座をボルト選手に譲るものの、自身も常に食い下がり、決して独走を許さなかったのだ。

まとめ

陸上競技界には激しくも美しいライバル関係がたくさん存在する。 今後もお互いを高め合うようなライバル関係にある選手たちが、世界を沸かせるレベルの高い戦いを繰り広げてくれるのを楽しみに待ちたいところだ。

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