2年前に一躍脚光を浴びる
予選で自己ベストを0秒12縮める10秒06をマーク。準決勝も同じタイムを出し、決勝では日本歴代6位となる10秒05で初優勝。決勝の前に200メートルの予選を走りながら、100メートルでは3本とも10秒06以内と、そのパフォーマンスの安定度は群を抜いていた。
それでも、サニブラウンは言う。
「まあ、スタートが遅れても、そこからしっかり持ち直すことができたのは良かったかな、と思いますが、ちょっともったいないレースでもあったのかな」
190センチ近い大柄な体をいかし、終盤に向けてぐんぐんストライドが伸びてくる。日本選手権で2位になった多田のような激しい動きはないが、スムーズに前に進む。まだ上半身の動きには粗削りの部分も多く、伸びしろを感じさせてくれる。
さて、このサニブラウン、知らない人は新星が現れたように思うかもしれないが、彼は2年前に一度大きな注目を浴びている。
コロンビアで行われた世界ユース選手権で、100メートルと200メートルをともに大会新で制した。200メートルを持っていたのは、あのウサイン・ボルト(ジャマイカ)だった。
世界選手権にも日本選手史上最年少で出場し、200メートルで準決勝まで進んだ。同年、国際陸上競技連盟が選ぶ新人賞に選ばれた。
昨年のリオデジャネイロ五輪にも期待が高まっていたが、左太もものケガで代表選考会の日本選手権を欠場。リオでの400メートルリレーの日本代表の活躍は皆の知るところだが、その場にいなかったがために、陸上を詳しく知らない人にはそこまで知られた存在になり得なかった。
人と違うことを恐れない
小さいころはサッカーと陸上をしていたが、中学からは陸上に専念。当初は成長痛で練習が思うようにできず、記録も平凡だったが、中3ごろから頭角を現し始め、高校生になって一気に世界レベルにまで力を伸ばしてきた。
冒頭のコメントを見ても分かるのだが、日本選手にありがちな緊張とは無縁であり、ここ一番で強いタイプ。誤解を恐れずに言うなら、いい意味でメンタルが通常の日本人とは違っているような気がする。
ハーフの日本人が増えてきたとはいえ、ガーナ人の父を持つサニブラウンはどうしても目立ってしまう。そんな中、家庭の方針は「周囲に流されず、自分の決めたことをやり抜く強さを持つ」ということだという。
だからだろう、サニブラウンは人と違うことを恐れない。例えば高校3年生の時のインターハイ。紫外線対策が疲労軽減につながることから、レース中もサングラスをかけて走った。「高校生にサングラスはふさわしくない」という声も聞かれたが、意に介さなかった。競技場近くに休憩のための部屋を借り、自転車で競技場との行き来するのも異例のことだった。
高校卒業後は米国のフロリダ大学へ進学。わずか18歳ながら、海外を拠点にトレーニングをし、海外のコーチのもとで学ぶのもあまり聞いたことがない。とにかく、いい意味で前例とかにはとらわれないタイプである。
そして、海外の競合と練習する中で力をつけてきた。それは自身も実感している。
「最初の3~4歩は以前より、速くなっています。最初の3歩を速くするには脚が流れたらできないので、そういったところも含んでのことで、今年少しずつ成果になっています」
史上最年少9秒台へ
今回の日本選手権では200メートルも制し、2003年の末続慎吾以来となる100メートル、200メートルの2冠に輝いた。カール・ルイス(米)やボルトも五輪でこの2種目を制している。スプリンターとしての王道を、サニブラウンは歩み始めている。
再び注目が集まる中、走りを分析するコメントはいつも通り飄々としていて、18歳とは思えないほど、冷静だ。
「スタートでリズムを刻めば、後半はそのリズムを保つか、少し速くすればいい。元々ストライドは長いので、それ以上伸ばす必要はありません。スタートでいいペースで出られたら、後半のレースの作り方が簡単になる」
高まる9秒台への期待。現在の史上最年少9秒台は18歳11カ月。サニブラウンはまだ、18歳3カ月である。