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インターハイの陸上競技で活躍した歴代選手たち・男子ハンマー投げ編

2017 6/13 12:41茶色野うさぎ
陸上
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出典 vectorfusionart/shutterstock.com

毎年開催されるインターハイでは高校生アスリートたちがたくさん参加し、いろいろな競技でしのぎを削っている。 今回は陸上競技の中からハンマー投げにスポットを当てて、これまでに参加した歴代選手たちの活躍などについて紹介していく。

ハンマー投げという競技について

ハンマー投げは、規定の重さのハンマーを投げて距離を競う投擲競技の一種だ。重さは一般男子で7.26kg、高校男子で6kgとなっている。アイルランドで金づちに鎖をつけて投げていた競技が起源とされているため「ハンマー投げ」という名前になっているが、現在公式に使われているのは砲丸にワイヤーをつけたものだ。
世界記録は1986年に樹立された86m74で、当時のソビエト連邦のユーリ・セディフさんが3回転投げで打ち立てた記録だ。年々投げ方も研究されて4回転投げが主流になっているが、なかなか世界記録更新というところまでは至っていないのが現状だ。

1962、1963連覇の鉄人、室伏重信さん(日本大学三島高)

1962年、1963年のインターハイを連覇したのが、のちに「アジアの鉄人」と呼ばれる室伏重信さんだった。日本陸上競技界で代表する存在となる室伏広治さんの父親としても知られる重信さんは、高校時代から投擲種目で頭角を現し、独自の投擲フォームの研究などをしながら日本選手権10連覇、アジア大会5連覇といった実績を残した。
39歳で迎えた1984年のシーズンには、75m96という当時の日本記録を樹立している。この記録は息子である広治さんに破られるが、いまだに日本歴代2位の記録として歴史に刻まれている。

1991、1992連覇、ハンマー投げの室伏広治さん(成田高)

1991年と1992年のインターハイで連覇を果たしたのは、鉄人の息子・室伏広治さんだ。母親もやり投げのルーマニア代表という彼は、まさに投擲のサラブレッドだ。高1からハンマー投げに取り組み始めると、高2、高3とインターハイ連覇を果たし、高校時代に出した66m30は高校記録として残っている。
その後は父親と同じ道を進み、独自の投擲スタイルを確立していく。2004年のアテネオリンピックでは念願の金メダル獲得など、日本を代表するアスリートへと成長を続けていった。2003年に出した84m86という記録は、日本記録であるのはもちろん、世界でも歴代4位に入る素晴らしい記録だ。

2001年インターハイで5位入賞・野口裕史選手(北海道函館工業高)

2001年の熊本インターハイで5位入賞を果たしているのが野口裕史選手だ。順天堂大学に進学後は日本インカレを制するなどの活躍をして、社会人では群馬綜合ガードシステムに所属して競技を続け、日本のハンマー投げ界のトップ選手に数えられるまでに成長する。
2015年に室伏広治さんが欠場した日本選手権で優勝を果たし、21年ぶりの新しい王者として名前を刻んでいる。そんな彼だが、2016年には新しいチャレンジとして競輪学校を受験して合格。今まで鍛えてきた脚力を生かして競輪選手になるという夢に向かって進んでいる。

2010年のインターハイで優勝・柏村亮太選手(松柏学院倉吉北高)

2010年の沖縄インターハイで優勝しているのが柏村亮太選手だ。中学から陸上競技を始めた彼は、高1でハンマー投げと出会う。コーチと理想の投げ方を話し合い、夢中で練習した彼はめきめきと力をつけて、高3でインターハイ制覇を成し遂げる。
大学は日本大学に進学し、2013年には日本選手権で3位に入るなど活躍する。卒業後はモンテローザに所属してトレーニングに励み、2016年には日本選手権で優勝を果たした。まだまだ記録は70m前後ではあるが、実力者が引退していったハンマー投げを引っ張る存在として期待が高まっている。

まとめ

毎年開催されるインターハイの中から陸上競技のハンマー投げにスポットを当て、過去の大会で活躍した歴代選手たちを紹介してきた。 室伏広治さんという突出した存在が引退した今、新しいスターの存在が待望されている。 元気な高校生たちに期待しつつ、インターハイを注目していこう!

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