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インターハイの陸上競技で活躍した歴代選手たち・男子5000m編

2017 6/13 12:41茶色野うさぎ
陸上
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出典 Take Photo/Shutterstock.com

陸上長距離走の未来を担う有望な選手たちがたくさん参加するのがインターハイの5000m走だ。 今回はそんな陸上ファン垂涎のインターハイで活躍した歴代選手たちや、その後の活躍についてまとめてみたい。

男子5000mという競技について

陸上の5000m走は長距離走に分類される競技で、長距離走の中では一番短い距離で競う競技だ。インターハイの陸上の中では最も長い距離になり、将来有望な長距離ランナーたちがたくさん参加している。
世界的にみるとエチオピアとケニアが圧倒的に強く、エチオピアのケネニサ・ベケレ選手が2004年に出した12分37秒37というのが世界記録となっている。レース展開や戦略にもよるが、ハイペースで走り続ける持久力だけでなく、終盤でのロングスパート、ゴール直前でのスプリント力など、総合的な走力がないと世界では勝てない競技になってきている。

1991年のインターハイで優勝・渡辺康幸さん(市立船橋高)

1991年の静岡インターハイで5000mを優勝したのが渡辺康幸さんだ。スケールの大きな走りは早くから注目を浴び、高校時にはすでに実業団レベルという評価をされるほどの逸材だった。
高校卒業後は早稲田大学へ進学し、あこがれの瀬古利彦さんの指導を受ける。大学在学中には駅伝を中心に大活躍し、多くのタイトルをもたらしている。
卒業後はヱスビー食品に入社、マラソンに転向するが、ケガが多く期待されたような活躍はできずに引退。その後は指導者の道を進み、母校の早稲田大学の監督を務め、2015年4月からは実業団の住友電工陸上部監督に就任している。

2002年・03年を連覇、ジョセファト・ダビリ選手(流経大柏高)

2002年の茨城、2003年の長崎と2連覇を果たしたのが、ケニアからの留学生であるジョセファト・ダビリ選手だ。同学年には日本の長距離を引っ張る存在となる上野裕一郎選手、1学年下には同じ留学生のサムエル・ワンジル選手など、強力なライバルがいたが、その中でも負け知らずの強さを見せていた。
流通経済大学に進学後は、箱根駅伝出場はできなかったが、トラックや予選会で有力校の留学生を圧倒する活躍をしている。卒業後は小森コーポレーションに所属して活動を続け、2007年には世界陸上のケニア代表に選ばれるなど実績を残している。

2004年優勝のメクボ・ジョブ・モグス選手(山梨学院大付属高)

2004年の島根インターハイを制したのは、ケニアからの留学生モグス選手だった。近い学年にダビリ選手やワンジル選手ら強力なライバルがいたが、3年生で迎えたインターハイでようやく優勝を飾ることができた。また、この年のインターハイには、後に箱根駅伝を沸かせることになる佐藤悠基選手や竹澤健介選手なども参加しており、陸上ファンにはたまらないレースになった。
大学に進学後は箱根駅伝でライバルたちとしのぎをけずり、有名になる。卒業後は日本の実業団に所属して活動を続けており、2015年4月からはサンベルクスに移籍して現在に至る。

2007年、2008年を連覇したポール・クイラ選手(仙台育英高)

2007年の佐賀、2008年の埼玉と2連覇したのは、ケニア出身のポール・クイラ選手だ。15歳から陸上を始めたという彼は、留学してきてからめきめきと力をつけ、高2の時にはすでに5000mを13分台で走れるようになっていた。この頃のライバルにはマイケル・ギチンジ選手や村澤明伸選手、大迫傑選手などがいたが、その中でも圧倒的な強さを見せて2連覇を果たしている。
現在はコニカミノルタ陸上部に所属し、駅伝とともにマラソンにも挑戦している。ちなみに、2016年のニューイヤー駅伝で起きた「飼い犬の飛び出し事件」で転倒したのが、このポール・クイラ選手だ。

まとめ

陸上長距離界の未来を担う若手が続々と登場するインターハイ5000mの歴代選手たちを紹介してきた。 マラソン人気の高まりとともに長距離走に対する注目もどんどん高まってきている。 時代に乗り遅れないように、インターハイの5000mもしっかりチェックしていこう!