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インターハイの陸上競技で活躍した歴代選手たち・男子800m編

2017 6/13 12:41茶色野うさぎ
陸上
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出典 Valery Bareta/ Shutterstock.com

スポーツに打ち込む高校生にとっては夢の舞台でもあるインターハイだが、過去にどのような選手が活躍したのだろうか? 今回はインターハイの男子800mで活躍した選手とその後の活躍など、気になる情報を紹介していく。

男子800mという競技について

陸上800mは中距離走に分類される競技だ。しかし、中距離走の中でも最も距離が短く、世界の競技レベルの向上とともに高速ペースで駆け抜けるという特殊な競技になってきている。競技は400mのトラックを2周するのだが、スタートして第2コーナーを曲がるとオープンレーンとなり、この時から激しいポジション争いが始まるため、「陸上の格闘技」と呼ばれることもある人気競技だ。
世界記録のランキング10位以内を見てみると、デンマーク、イギリス、ブラジル、ロシアといった国の選手が入っており、必ずしもアフリカ勢が強いというわけでもないようだ。肉体的な強さと駆け引きなどのメンタル的な強さが必要とされるのが800mという競技なのだ。

1973年、1974年インターハイで連覇・瀬古利彦さん(四日市工)

高1でインターハイに出場して3位に入った瀬古利彦さんは、高2ですでに怪物という異名をつけられるほどの選手に育っていた。高2で迎えた1973年の三重インターハイで優勝すると、続く1974年の福岡でも優勝、連覇を飾った。
800m、1500m、5000mで強さを見せる特異な才能が注目されるなか、一浪して早稲田大学へ一般入試で合格、1年生の時から箱根を沸かせる。大学在学中からマラソンに挑戦し、後半に爆発的な追い込みで勝負を決めるというスタイルを確立し、マラソン10勝という成績を残した。
引退後は後進の育成に力をいれており、現在はDeNAランニングクラブの総監督を務めている。

2002年の800mで優勝、ジェームズ・ムワンギさん(青森山田高)

2002年の茨城インターハイで800mを制したのはケニアからの留学生ジェームズ・ムワンギさんだった。2001年に留学でケニアから初めて日本の青森に来たジェームズ・ムワンギさんだが、見事に適応してランナーとして活躍することになる。
高校2年の時にインターハイを制し、高校卒業後は日本の実業団NTNに入社して長距離ランナーとして活動を続けた。その後は活躍が認められ、2007年にはケニア代表として世界陸上のマラソンに出場するなど実績を残している。
2013年に現役を引退、2016年からは国士舘大学でコーチに就任、後進の指導にあたっている。

2005年のインターハイで優勝・横田真人さん(立教池袋高)

2005年に頭角を現した中距離ランナーが横田真人さんだ。高3で迎えたこのシーズン、1分50秒前後の好タイムを連発、国体とインターハイの2冠に輝いた。
大学に進学後も1年生の時から活躍し、日本インカレ、日本選手権の2冠に輝き、この種目の第一人者としての地位を確立していく。2009年には大学陸上部の主将を務めながら記録を伸ばし、10月には1分46秒16という当時の日本新記録となるタイムをたたき出した。
その後はオリンピック出場などを経験するが、世界との差を痛感。2016年に引退してからは、アメリカの大学院でコーチングを学んでいる。

2010年のインターハイで優勝・川元奨選手(北佐久農業高)

2010年の沖縄インターハイを圧勝で制したのが川本奨選手だった。中学では1500mの選手だった彼だが、ジュニアオリンピックに1500mがないため、800mをメインに変更した。高校に入学後、記録を意識して先行逃げ切りのスタイルに変更すると、めきめきと力をつけ、高3で迎えたインターハイで優勝を飾る。また、同じ年の10月には1分48秒46という当時の高校新記録をマークするなど活躍した。
大学進学後も記録を伸ばし、2013年には日本選手権初優勝、2014年には1分45秒75という日本記録樹立と大活躍。2016年にはリオオリンピックに出場、惜しくも準決勝進出を逃すという経験をしている。

まとめ

過去にインターハイの陸上800mという競技で活躍した歴代選手たちを紹介してきた。 日本ではあまりなじみがないだが、世界的には「陸上の格闘技」として非常に人気のある競技だ。 これから良い指導者や活きの良い若い選手が出てくることを期待したい。