「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

陸上競技の歴史の1ページを作ったあの瞬間!競走競技の名場面紹介

2017 1/30 21:11
このエントリーをはてなブックマークに追加

Photo by Pavel1964/Shutterstock.com

2016年夏のリオデジャネイロオリンピック・パラリンピックでの日本人選手の活躍が記憶に新しい陸上競技だが、これまでにも日本人選手だけでなく世界中の選手が数々の名場面を生み出してきた。陸上競技の中でも競走競技に注目し、その名場面を紹介したいと思う。

競走競技について

陸上競技は走る、投げる、跳ぶなどほとんど道具を使うことなく人間の体1つで記録を競い合う。その中でも競走は読んで字のごとく走るスピードを競い合う競技だ。足の速さを競い合うということで短距離の100mからマラソンの42.195kmまで様々な距離を走る。
種目によっては短距離走のような0コンマ数秒を競うものから、長距離走のようなレースの展開を伺いながら駆け引きを行うものまで、目的はスピードを競うというシンプルなものでありながら勝つために選手は様々なところで勝負を仕掛けているのだ。

ウサイン・ボルト2009年ベルリン世界陸上(男子100m)

2016年のリオデジャネイロオリンピックで100m3連覇という偉業を成し遂げたボルト選手だが、人類史上初にして唯一の9秒5台を記録したのが2009年の世界陸上だ。前年の北京オリンピックで金メダル3つを獲得していたことから、大会での注目度は非常に高いものだったが、周囲の期待を上回る9秒58という圧倒的記録を残して優勝した。
ちなみにこのレースでボルト選手は100mにおける3度目の世界記録更新を果たしたのだが、100mで3度の世界記録更新は史上初の出来事だった。今も破られることのない100mの記録は、いかにボルト選手がすごいのかということを物語るものとなっている。

日本リレーチーム2016年リオオリンピック(男子4×100m)

競走競技で記憶に新しいのは、リオデジャネイロオリンピックでの男子4×100mリレーの日本チームではないかと思う。
同種目では北京大会でも銅メダルを獲得していたものの、100m走の記録において他の国が多くの9秒台の選手を擁する中、日本は10秒台の選手だけで挑んでいた。そんな日本はバトンパスを自分たちのストロングポイントとして徹底的に磨き、バトンパスによって0コンマ数秒の差を生み出し銀メダルを獲得した。
陸上競技という肉体1つで戦うことがほとんどの中でバトンパスの技術という他の国が力を入れていない部分に焦点を当て強化した日本の戦果はまさに狙い通りであり、陸上界の歴史の1ページに名を刻んだと言える。

高橋尚子2000年シドニーオリンピック(女子マラソン)

2000年のシドニーオリンピックは日本マラソン界の歴史に残る大会となった。高橋尚子選手の女子マラソンにおける金メダル獲得は、男女通じて日本史上初の快挙だった。
シドニー大会での印象的な場面といえば、34km付近で高橋選手が掛けていたサングラスを沿道に投げ一気にスパートをかけた場面ではないだろうか。このスパートで2位につけていたルーマニアのシモン選手を突き放し優勝へとつなげた。
オリンピックでの活躍により高橋選手は女子のスポーツ選手としては初めて国民栄誉賞を受賞した。さらにオリンピックの翌年に行われた世界陸上では女子選手として初めて2時間20分を切り、当時の世界記録を塗り替えるなど、高橋選手は日本マラソン界のレジェンドと言っても過言ではない。

バンデルレイ・デ・リマ2004年アテネオリンピック(男子マラソン)

バンデルレイ・デ・リマと言えば、オリンピックで観客から走行妨害を受けた選手だ。
ブラジル代表としてアテネオリンピックに出場したリマ選手は36km地点までトップを走っていながら、沿道から出てきた観客に妨害され約10秒の遅れをとることになった。時間は10秒と僅かだが、いいペースを保っていたリマ選手にとってそれまでのリズムを崩すには充分すぎる10秒となり、結果は3位で銅メダルという結果に終わってしまった。金メダルを逃す形になったリマ選手だが、妨害に屈することなく最後まで走りきったことを国際オリンピック委員会が評価し、銅メダルとは別に特別なメダルが贈られた。
ちなみにこのリマ選手は2016年のリオデジャネイロオリンピックで聖火リレーの最終走者を務め、ブラジルのスポーツ界に名を残す選手であると言える。

まとめ

競走競技の名場面を紹介してきた。競走競技では日本人選手の活躍も見られるものの、世界の選手もどんどんレベルアップしていて非常に熾烈な戦いが見られる。国籍問わず様々な選手のプレーに注目していきたい。

関連記事

おすすめの記事