「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

夢と感動と愛を与えた日本陸上界の偉人5人

2016 7/23 23:12
ランナー
このエントリーをはてなブックマークに追加

陸上ファンの方へ。
陸上を知れば知るほど、記録だけではなく数々の名選手のエピソードを知りたいと思いますよね。 今回は、見るもの全てに夢と感動と愛を与えてきた陸上界の偉人たちをご紹介します。

金栗四三の陸上への愛が「箱根駅伝」を生み出した

毎年1月2日と3日に行われる「箱根駅伝」。今やすっかりお正月の風物詩ですが、その「箱根駅伝」の生みの親といわれるのが金栗四三です。自らもオリンピックにマラソン選手として3度オリンピックに出場した金栗四三は1920年(大正9年)に行われた第1回箱根駅伝の開催に尽力。東京高等師範学校(現・筑波大学)、明治大学、早稲田大学、慶應義塾大学の4校での開催を実現しました。
金栗四三はその名を箱根駅伝の最優秀選手賞に「金栗四三賞」としてその名を残しており、間違いなく「日本陸上界の偉人」といえるでしょう。

国民に感動を与えたマラソンランナー・円谷幸吉

1964年の東京オリンピックで銅メダルを獲得した円谷幸吉も「日本陸上界の偉人」のひとりです。
元々トラックの選手であった円谷幸吉は、「日本陸上界の父」織田幹雄の勧めでマラソンに挑戦。そして初マラソンから7ヶ月でオリンピックに出場するという適性の高さを見せました。オリンピック本番ではゴール前の国立競技場で後続の選手に抜かれ3着。銅メダルを獲得しました。
その後次のメキシコシティオリンピックを目指した円谷幸吉でしたが、開催年の1968年に自殺。27歳の生涯を終えました。

君原健二がメキシコシティオリンピックで戦友の夢を繋ぐ

円谷幸吉の出場が叶わなかった1968年のメキシコシティオリンピックには、ライバルであった君原健二が東京オリンピックに続き2度目の出場。ゴール前の競技場で3位の選手に迫られるも2着を死守し銀メダルを手にしました。
いつもはレース中に後ろを振り向かない君原健二がそのときに限って後ろを振り向いたことについて「円谷君の『陰の声』が振り返らせたのかもしれない」と考えているそうです。その後君原健二は1973年に引退。出場した35レース全てを完走するという鉄人ぶりを見せました。

夢を紡いだ「アジアの鉄人」室伏重信

鉄人といえば、1970年代から1980年代にかけてハンマー投げで日本の第一人者として活躍した「アジアの鉄人」こと室伏重信が思い出されます。
室伏広治、室伏由佳の父としても知られる室伏重信は日本選手権の優勝12回、アジア大会5連覇、オリンピック4回出場とまさに「鉄人」の名にふさわしい活躍を見せてきました。しかし室伏重信が凄いのが、2016年の今なおハンマー投げの日本2位の記録を持っているという事実です。
日本記録保持者は息子の室伏広治ですから、つまり息子以外には記録で負けていないということになります。この室伏重信を「日本陸上界の偉人」と呼ばずにいられるでしょうか。

夢の9秒台に近づいた男・朝原宣治

「和製カール・ルイス」と呼ばれ、日本記録を3回更新した朝原宣治も「日本陸上界の偉人」のひとりに数えられます。元々走り幅跳び専門だった朝原宣治は、1993年の国体で当時の日本記録である10秒19を出して優勝しました。
以後年々タイムを伸ばし、ベストタイムは10秒02。またオリンピック、世界選手権の100mでは5度準決勝に進出するなど、日本人ではトップクラスの活躍を見せました。オリンピックへの出場は陸上競技選手としては2人目となる4回。長年に渡り日本の短距離界をリードしてきました。2008年の引退後は後進の指導にあたっており、「第二、第三の朝原宣治」の出現が期待されます。

まとめ

陸上には長距離、短距離、投擲などさまざまな競技があり、それぞれが年々レベルアップしてきています。
世界で戦えるようになりつつある現状には、過去の「偉人」と呼ばれる方々が築き上げたものも大きく影響しているでしょう。

以上「夢と感動と愛を与えた日本陸上界の偉人5人」でした。

関連記事

おすすめの記事