「出て後悔した方がいい」
川内が涙を流す理由がある。レースの約1カ月前、彼は右ふくらはぎを痛めた。家族から欠場をすすめられたが、受け入れなかった。招待されたレースには必ず出るという律義さが、川内のスタンスである。かつて、取材したときに、こう話してくれたことを思い出す。
「出ないで後悔するよりも、出て後悔した方がいい」
万全ではなくても、彼は出場を決めた。来年の世界陸上が日の丸をつけて走る最後のレースにすると決めていた。福岡はその選考会であるにもかかわらず、強行出場を決断した。そして、福岡の2日前には左足首をひねった。満身創痍。
さらに、福岡ではレース前日に必ず訪れていたカレー屋がなくなっていた。
「さすがの川内も今回は期待できない」それが関係者の声だった。
日の丸をつけるだけでは意味がない
そんな予想を裏に、川内は先頭集団を走り続けた。雨が降り、湿度は90%近くにもなった。体感温度は下がった。悪条件が重なり、ペースメーカーが予定より遅く走った。手負いの川内には好都合だったかもしれない。ただ、彼の好走はそれだけがもたらしたものではない。
25キロ手前、川内はスパートを仕掛け、一時はトップに立った。1980年代、瀬古利彦、宗兄弟、中山竹通ら、日本が世界最強と言われた時代、レースの主導権はこの川内のように日本勢が握り続けた。その頃を知るファンにとっては、最近の日本勢の消極的なレースは正直、歯がゆい。外国勢が先に仕掛け、日本選手はなにもできないままに後退する。
男女の違いはあるが、2004年アテネ五輪女子マラソン金メダリストの野口みずきは、女子でも消極的なレースが目立つ日本勢について聞くと、こう語ってくれた。
「世界で勝つためには、自ら仕掛ける積極性がないとダメ」
事実、野口はロングスパートで頂点に輝いた。2000年シドニー五輪ではQちゃんこと高橋尚子がやはり、切れ味鋭いスパートで栄冠を手に入れた。
川内の視点は福岡で勝つことだけではない。彼がよく言う言葉がある。
「日の丸をつけるだけでは意味がない。日の丸をつけて世界と戦いに行くんです」
そう、彼は常に世界を意識してやってきた。世界と戦うためには、自ら仕掛ける。かつての名ランナーがそうしてきた姿を、川内は体現した。
結局、優勝はできず、3位に終わった。でも、ケガをおしてでもスパートして勝ちにいく、彼の「魂の走り」は、見るものの心を揺さぶった。テレビで解説をしていた瀬古は「これがマラソンです」と絶賛した。ツイッターには「感動した」という言葉があふれた。そして、川内はゴールし、涙が止まらなかった。
マラソン界の常識は川内の非常識
川内という存在は、現在の日本長距離界に対するアンチテーゼのようなものである。
今の日本の長距離界は、高校で活躍した選手が、関東の強豪大学に進み、箱根を走る。そして、エリートは実業団に進み、やはり、駅伝を走る。ケガを負いやすく、1年に1、2度しか走れないマラソンはリスクが高いから、最近は敬遠されている。
川内は高校時代、インターハイに出られなかった。「エリート路線から外れた」と思った。でも、大学でも続け、実業団に入らなくても市民ランナーと練習してはい上がった。
「強豪校じゃなきゃだめ、というのは才能の芽を摘んでいる。僕を見て、ああいう生き方もあるんだと思ってもらいたい」
埼玉県の公務員。平日は仕事のため、練習があまりできない。レースが練習代わり。マラソンは1年に1、2度という「常識」は通用しない。福岡が64度目のフルマラソンだった。かつて、こう語っていた。
「常識外れと言われたけど、周りが勝手に常識で限界を決めているだけ」
練習も型破り。練習の最後の彼が自らを追い込む姿は、目を見張る。実業団選手なら仲間と一緒に追い込めるが、彼は1人で自分自身と戦う。時には山を登る。今回の福岡に向けては、100キロ走もした。かつて、瀬古や宗兄弟がした練習を本で知り、実践した。ケガを恐れ、練習量をこなさない今のエリートとは違う。川内は常に考え、行動に移す。それが川内流である。
奇跡がおきた
福岡で涙した後の会見で、川内は言った。
「奇跡がおこったというしかない」
状況からすれば奇跡かもしれない。でも、常に考え、闘争心を忘れない「魂の走り」があったからこそ、その奇跡を呼び込むことができたのだ。
レースに行けば、川内の人気は絶大だ。すぐにファンに囲まれる。なぜ彼が人気なのか。それを分からせてくれた第70回福岡国際マラソンの川内の走りだった。