順風すぎる優勝なのに、潤んだ監督の目
11月27日に行われた女子駅伝日本一を決める「全日本実業団女子駅伝」。通称は「クイーンズ駅伝」。2016年の6区間42・195キロの争いを制したのは、創部3年目、出場2回目の日本郵政グループだった。
アンカーの寺内希がフィニッシュテープを切る前から高橋昌彦監督の目が潤んでいた。創部3年目だから順調すぎる結果だと思われるかもしれないが、高橋監督の人生に重ね合わせると、この涙の意味も分かる。それは後ほど触れることにする。
11月27日に行われた女子駅伝日本一を決める「全日本実業団女子駅伝」。通称は「クイーンズ駅伝」。2016年の6区間42・195キロの争いを制したのは、創部3年目、出場2回目の日本郵政グループだった。
アンカーの寺内希がフィニッシュテープを切る前から高橋昌彦監督の目が潤んでいた。創部3年目だから順調すぎる結果だと思われるかもしれないが、高橋監督の人生に重ね合わせると、この涙の意味も分かる。それは後ほど触れることにする。
「予想もしなかった展開」。優勝を決めた後、高橋監督が言った言葉だ。そして、こう続けた。「こんなに力あるんだとびっくりした」。
選手たちも口をそろえて言った。「びっくりした」。なぜか。
日本郵政グループは約1カ月前に行われた予選会の「プリンセス駅伝」で8位。全日本の「クイーンズ駅伝」にシードされた8チームは出場していないから、優勝なんて目指そうと思う状況ではなかった。そもそも、目標は8位というのがチームのコンセンサスだった。
予選会の「プリンセス駅伝」には今年のリオデジャネイロ五輪5000メートルに出場(1万メートルは欠場)したエースの鈴木亜由子が出ていなかった。鈴木の欠場理由はけがのため。クイーンズ駅伝では起用したものの、2番目に短い2区(3・9キロ)での器用だった。本来なら、エースが集まる最長の3区(10・9キロ)か勝負どころの5区(10キロ)で使うのが常套だが、それができなかったということだ。だから、なおさらチームは優勝を狙える状況ではなかった。
1区(7キロ)で飛び出したのはワコールの一山麻諸だった。日本郵政グループの中川京香は11秒差の4位。悪くないスタートだった。
ただ、2区の鈴木はやはり本調子ではなかった。チームの順位を一つあげたものの、区間5位の走り。鈴木の力からしてトップで3区につなぎたかったことだろう。この時点で日本郵政グループの優勝を予想することはかなり厳しかった。
しかしながら、日本郵政グループにはもう1人エースがいる。リオ五輪1万メートル代表の関根花観(はなみ)。高橋監督は関根をエースの3区に起用した。関根はそれなりの走りをした。区間2位。それだけ見れば悪くないが、順位は3位のまま。先頭の資生堂とは22秒差。そこまで悲観的になる差ではないが、なにしろ2枚看板を2、3区に使った前半型の布陣でこの結果。高橋監督も、この展開になったら仕方がないと思っただろう。
4区を終えてトップと17秒差の3位。依然として厳しい状況が続く中、快走を見せたのが5区の鍋島莉奈だった。鹿屋体育大学卒業の社会人1年目は化けた。実績でもスピードでも全くかなわないリオ五輪マラソン代表の第一生命グループ田中智美に食らいつくどころか、競り合いからのスパートで引き離し、区間賞の走りでトップでたすきをつないだ。これをアンカーの寺内が守り切り、歓喜のゴールへ飛び込んだ。
前半に起用した2枚看板がふるわなかった。でも、力で劣ると思っていた後半で逆転した。だから、冒頭の高橋監督の言葉になるのである。
「予想もしなかった展開」
高橋監督はもともと、中学教師だった。トライアスロンのプロを目指して、1990年代初めに渡米した。そこで、高地合宿地の米コロラド州ボルダーの受け入れ施設で働いていた。その時に、高橋尚子らを育てた小出義雄氏と知り合い、陸上の指導者の道を進むことになった。
ただ、その歩みはことごとく不運がつきまとった。
かつて監督を務めたUFJ銀行、トヨタ車体は続けて廃部となった。当時、大南博美、敬美という、日本トップクラスの双子選手を抱えながらも憂き目に遭った。2011年4月からは東京電力の監督に就任することが決まっていた。でも、直前に起きた東日本大震災の影響で休部となった。20112年秋に、14年4月の創部を目指していた日本郵政グループから監督就任の依頼があり、今の立場となった。
実直な性格である。物腰は柔らかく、腰が低い。研究熱心で論文も書く。
真面目な生き方は選手獲得にもあらわれていると思う。女子の場合、高校で活躍した選手は大学へ進学せずに、実業団へ進む選手が多い。だが、高校時代に活躍した選手は、高校で酷使しすぎ、体が細く、成長をあまり期待できない選手が多い。
でも、高橋監督がスカウトする選手は、高校時代にそんなに有名でなかった大学生が多い。高校生でも体が絞り切れていないような選手が多いと思う。「これから」と思うような選手を一から鍛えるのが高橋流。日本郵政グループの選手は軸がしっかりとした走りをしていた。それは高橋監督の指導のたまものだろう。
廃部と休部を乗り越え、手に入れた指導者としての地位。やっと、自分の思い通りの指導ができるときがきたのだ。
「指導者として幾多の廃部、休部という困難を経験して参りましたが、そのたびに、人としては更に強くなってこられたと思っています」
高橋監督の涙には3年以上の重みがあった。