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「日本陸上界の父」織田幹雄の偉大なる功績

2016 11/29 21:30
陸上
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出典 http://www.47news.jp

織田幹雄は戦後の日本において陸上競技の普及や指導活動を行い、多大な貢献をしてきたことから「日本陸上界の父」とも呼ばれた。 今回は、織田幹雄の生い立ちや残してきた功績などについて、紹介する。

幼少期はサッカー部へ

1905年(明治38年)に広島県海田市町(現海田町稲荷町)に生まれた。 小さい頃から運動神経は抜群で、小学校で郡部の200m走で優勝。中学校へ進学後も構内のマラソンで優勝している。 しかし、当時の中学校には陸上部はなく、脚力に自信があった織田はサッカー部に入部した。 サッカー部では、西日本でも有数の強豪校であったこともあり、1年、2年時は試合に出ることができなかったが、3年時から少しずつ出場できるようになる。

転機はある講習会から

織田は、ある教官から第7回オリンピックに出場した野口源三郎の講習会へ参加を勧められる。 その時に、高飛びで当時の織田の身長155cmを軽々と飛んだところを、野口に褒められたことがきっかけで陸上の世界へ進むこととなった。
中学4年時には、サッカー部を退部し、新しくできた徒歩部(陸上部)へ入部する。 当時の徒歩部には指導者はおらず、自己流で練習する日々がしばらく続いた。それでも、当時の走り幅跳日本記録を上回る記録で飛べるようにまでなる。

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