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駅伝チームの歴史とは?拓殖大学の歩みを振り返る

2016 11/25 20:06
駅伝
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Photo by only_kim/Shutterstock.com

2017年箱根駅伝に4年連続の出場を決めた拓殖大学。38回目となる来年の大会出場までに至るまでの歩みを、2016年のうちに振り返ってみるのはどうだろうか?代表的な過去の歴史やチームエピソードを簡単に紹介する。

拓殖大学とはどんな学校?

拓殖大学は1922年に設立された、キャンパスを東京都文京区に構える日本の私立大学だ。もともとは台湾開拓のための人材を育てる目的で作られた学校だった。大学名の『拓殖』という名称には、"未開の地を開拓し移り住む"という意味があるそうだ。現在でも国際開発を見据えた人材育成を目的とした教育方針を理念として貫いている。なお、旧5,000円札の肖像としても有名な新渡戸稲造さんは、拓殖大学の学監(学長の立場に当たる人)だった。

拓殖大学陸上部の創部は昭和3年?

学長が国のお札にも選ばれるような歴史ある学校、拓殖大学。箱根駅伝を走る駅伝チームが所属する陸上部も、長い歴史がある。創部はなんと昭和3年(1928年)と戦前から存在するのだ。しかし、長い歴史の中では1度部が消滅してしまった経験も。陸上部消滅後7年で陸上同好会として再発足したのち、いまも続く陸上競技部になったそう。そんな長い歴史の中にはオリンピック日本代表に選ばれた選手もいるほど、歴史も実績も兼ね揃えたのが拓殖大学陸上競技部なのだ。

拓殖大学が箱根駅伝で残した成績

拓殖大学が箱根駅伝に初出場したのは、1933年に開催された第14回大会のこと。毎回必ずとまではいかないが、定期的に名前が聞かれる常連校として参加を続けている。肝心の結果はというと、2016年までの間で一度も総合優勝の経験はないという無念の実績。
総合はもちろん、往路・復路も含めた優勝経験がない拓殖大学。しかし1998年に行われた全日本大学駅伝では3位に入賞、2011年大会では箱根駅伝で過去最高順位となる7位の結果を残すなど、チーム編成によっては優勝争いに食い込むポテンシャルもあると考えられる。近年着々と実力をつけてきている拓殖大学駅伝チーム。念願の箱根駅伝優勝も夢ではないかもしれない。

拓殖大学出身の有名選手は?

拓殖大学の陸上競技部OBにはオリンピック日本代表を輩出した実績がある。2014年に開催されたロンドンオリンピックで、男子マラソン日本代表として出場した藤原新選手と中本健太郎選手が拓殖大学陸上競技部OBにあたる。これは創部以来初の快挙となった。

天国の偉大な先輩、拓殖大学OB佐藤大輔選手

23歳という若さでこの世を去った佐藤大輔選手。1998年第74大会の箱根駅伝では彼の活躍もあり、拓殖大学は1979年第55回大会以来のシード権を獲得することができた。佐藤選手は拓殖大学を卒業後、NECに入社し実業団チームに所属。その後間もなく「再生不良性貧血」という難病を発症してしまう。
命の尊さと人との絆の大切さを軸に佐藤選手の生きた軌跡を著したノンフィクション、佐藤選手の父、佐藤忠広さん原作の「僕、死ぬんですかね」は2000年度第5回報知ドキュメント大賞を受賞。さらに2003年日本テレビで福山雅治さん主演でドラマ化もされ「天国のダイスケへ~箱根駅伝が結んだ絆~」は話題を呼んだ。

まとめ

長い歴史と偉大な学校関係者をもつ拓殖大学。ひとりひとりのポテンシャルが合わさったとき、きっと最高の相乗効果が現れるはず。今年こそは念願の箱根駅伝総合優勝は叶うだろうか。初春から若きアスリートたちの活躍に注目だ。