「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

青山学院大学駅伝チームを箱根駅伝連覇へと導いた名将・原晋監督の歩み

2016 10/24 19:31
マラソン 街
このエントリーをはてなブックマークに追加

Photo by Denis Rozhnovsky/Shutterstock.com

2015年、2016年と箱根駅伝連覇を果たしアオガクフィーバーを巻き起こした、青山学院大学の駅伝チームを詳しく知りたいという方もいるのではないだろうか。そこへ導いた名将・原晋監督の歩みを紹介する。

原晋監督の生い立ち

原晋(はら・すすむ)監督は1967年3月8日に広島県三原市で生まれる。子供のころから運動神経もよく野球などを活発に行う。本格的に陸上を始めたのは中学校に入ってからで、陸上部で長距離を始めると1年生のうちから校内マラソン大会で1位になるなど頭角を現す。
高校は駅伝強豪校として知られる世羅高校に進学する。3年生で迎えた全国高校駅伝では主将としてのぞみ、全国2位という成績を収めている。中京大学に進学すると、3年生の時にインカレ5千メートルで3位にはいるなど活躍し、卒業後は実業団チームの中国電力陸上競技部にはいる。
実業団チームでも主将を任されるなど期待されたが、けがに泣かされ27歳で現役を引退した。

サラリーマン時代

原晋監督は27歳で現役を引退したあとは、中国電力でサラリーマンとして働き始める。配属されたのは山口県徳山市(現在の周南市)の営業所だった。とてもちいさな営業所だったが、めげることなくセールスマンとして経験を積んでいく。
陸上時代に主将を任されることも多かったその人望や持ち前の能力の高さなどを発揮して、セールスマンとしても社内トップの成績をあげていく。社内の評価も非常に高く、その後はその能力を高く買われて新規事業の立ち上げなどにもかかわっていくようになる。
そして、サラリーマン生活を送って10年たったときに、原晋監督の人生を大きく変える転機が訪れる。

青山学院大学の監督に就任

サラリーマン生活10年を迎えた36歳のときに、世羅高校関係者から青山学院大学陸上競技部の監督に誘われて受諾する。これが2004年の出来事だった。しかし、当時の青山学院大学は箱根駅伝に出場できないレベルだったため、有力選手の獲得に苦労する。
監督就任から3年後の予選会でも惨敗して廃部という話も出てくるような状況だったが、人脈を頼りに母校の世羅高校や中京大系列校から有望な選手を獲得して強化をつづけると、2009年に大学にとって33年ぶりの箱根駅伝出場を果たす。
本戦では22位に沈んだが、モチベーションも高まり、ここから劇的な強化を実現す。翌年の2010年には8位に入りシード権を獲得、2012年出雲駅伝優勝、そして2015年についに箱根駅伝での総合優勝を成し遂げる。翌年の2016年には連覇を果たし、原晋監督の手腕は各方面から注目されるようになっている。

まとめ

箱根駅伝連覇を果たして注目を浴びる青山学院大学駅伝チームの原晋監督の歩みを紹介した。現役時代はけがに苦しんだり、サラリーマン生活が長かったりといろいろな経験が彼の独自のメソッドとして集約されていったのだと思う。有力な学生たちをマラソンに挑戦させる動きも出てきているし、今後の陸上界にどんな効果をもたらすのか楽しみである。

関連記事

おすすめの記事