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実業団で活躍していた駅伝選手の引退後は?


駅伝、実業団 引退後

Photo by Pavel1964 / Shutterstock.com

実業団で活躍していた選手たちは引退後何をしているのだろうか。
今回はかつての駅伝スター選手たちを調べた。

順天堂大学の元エース 長門俊介さん

長門俊介さんは長崎県生まれの31歳だ。高校は諫早高の陸上部に在籍し2002年の高校3年生の時1500メートルで大会新記録を収めている。その後順天堂大学に進学し、駅伝部に入部すると1年生から実力を発揮し、4年間「花の9区」と言われている花形の区間を走るエース選手だった。
1年生の時は4位でたすきを渡し、2年生では6位、3年生では3位、4年生では1位でたすきを渡した実績がある。2007年に順天堂大学を卒業するとJR東日本に入社しJR東日本ランニングチームに在籍する。JR東日本ランニングチームでは駅伝ではなく主に5000メートルなどのトラック競技で成績を収めていたが、2009年初旬から低迷が続いていた。
11年に退社をすると母校である順天堂大学コーチに転身した。中村明駅伝監督の下でコーチとして選手を指導し今年2016年3月に昇格し、順天堂大学駅伝部の監督に就任した。

駅伝界のザキヤマ 渡辺康幸さん

渡辺康幸は1973年千葉県生まれで父親、祖父が陸上選手ということで陸上競技に親しんで育った。高校は市立船橋高校普通科に進学し渡辺敏彦監督指導の下練習を重ね、1年生の時から頭角を現した。2年生の時から高校では渡辺康幸選手にかなう選手はいないといわれるほど実力をつけ早稲田大学に進む。
早稲田大学進学後はトラック、駅伝の舞台を問わず実力を発揮し世界を見据えた練習や試合をしてきた。1996年ヱスビー食品に入社しトラック種目でアトランタ五輪を目指すが、福岡マラソンでアキレス腱を痛めて以降けがの回復が思わしくなく2002年に引退をした。
2003年から母校の早稲田大学陸上部に出向しコーチとなり後輩の指導にあたっていた。渡辺氏が就任すると選手たちと寝食を共にし練習だけでなくすべてのことのサポートで底上げされ好成績を収めるようになった。2015年の任期を終えると住友電工陸上部監督に就任し、その他にも駅伝の解説者として有名だ。解説時の物怖じしない”ツッコミ”をお笑い芸人・山崎弘也さんになぞらえ、「駅伝界のザキヤマ」として人気をえている。

実業団引退後の選手の生活

上記では指導者や解説者として成功した二人を紹介したが、指導者としての道ではなく他の道を歩く選手はどのような生活をしているのだろうか?
実業団では選手も社員として会社で仕事をする。そのまま会社のチームの監督やチームのコーチとして専念する方もいるし、陸上からはすっぱりと引退して社業に専念する方もいる。また大学時代に教員の免許を取得している方であれば公立学校の教諭としての道もある。
また中には会社をやめる人もいるが、社員とはいえ陸上の競技がメインで雇われているため本人が会社の業務に興味あるのであればサラリーマンとしての道もある。選手を引退してからのほうが、その人の人生の本番になっていくと思う。

まとめ

実業団まで上り詰めることは並大抵の努力ではできないことだが、引退後はどうしても道が狭くなってしまう。
今まで培ってきた努力や根性があればどんな困難も乗り越えて新たな道を獲得できると思う。

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