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もう一度見たい!箱根駅伝歴代の名シーン

2016 10/4 00:52
駅伝
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Photo by Sebastian Duda/ Shutterstock.com

お正月の風物詩として日本のお茶の間を独占している箱根駅伝は、毎年様々なドラマで私たちを感動させてくれる。
今回は箱根駅伝がもたらした歴代の名シーンを紹介する。

箱根駅伝の無情さが垣間見える繰り上げスタート

箱根駅伝では毎年のように発生するのが「繰り上げスタート」。これはトップの選手が中継地点を最初に通過してから規定時間を超えた場合、前走者を待たずに次のランナーがスタートしてしまうという決まりだ。公道を使用して大会は行われているため、渋滞を緩和させるためにはタスキが途切れるのも仕方がないことだが、命がけで走っている選手やタスキに込められた伝統を考えるとやるせなさもこみ上げてくる。
中でも印象的なのは、1999年(第75回)の9区で発生した繰り上げスタートだった。法政大が中継所の選手を目前にしながらも無情のピストル音。走り去る仲間を見て、選手は一瞬目を見開いて驚き、悔しそうな表情でゴールに吸い込まれていった姿が印象的だ。

名選手もけがに泣いた「棄権」という箱根駅伝の悲劇

箱根駅伝にとってタスキの繰り上げスタートは悲しく辛いことだが、それよりもさらに悲しいのは、チームの記録が途切れること。それは「棄権」という扱いで、後続のレースに順位はつかない。1996年、山梨学院大は3連覇をかけて4区にエース、中村祐二選手が登場。快調な出だしを期待したが、2キロ過ぎから右足に激痛が走る。
走ることすらままならず、それでも痛みをこらえながら、監督の制止を振り切って歩く。最後は監督が中村選手に触れて無念の棄権。この出来事を節目に、山梨学院大は箱根の総合優勝から縁遠くなった。

箱根駅伝屈指の名勝負「渡辺康幸VSマヤカ」

箱根駅伝の2区は全区間の中で最も距離が長く、序盤なので巻き返しが容易にできることから「ごぼう抜き」が名物となり、各校のエースが集結することからついた愛称は「花の2区」。過去の名勝負として名高いのは1995年大会、学生最強ランナーの呼び声が根強い早稲田大の渡辺康幸選手(2年)とステファン・マヤカ選手(3年)の2区対決だった。
マヤカ選手はトップでタスキを受けて1時間7分20秒、9位でタスキを受けた渡辺選手は7人抜きの1時間6分48秒。結果は両者とも当時の区間新記録を達成したが、スーパースター同士の対決は渡辺選手に軍配が上がった。

箱根駅伝の山上りのスペシャリストはいつしか「山の神」に

箱根駅伝で最も苦しい区間は5区の山上りだろう。エースが集う2区とは違い、上りに強い選手を揃えるのだが、5区で最も脚光を浴びた選手は順天堂大の今井正人選手だろう。1年で2区を走った際に10位ながらもラストの上りの速さを買われ、2年は5区にエントリー。すると、同区間最多となる11人抜きを達成し、かつ当時の区間記録も2分以上塗り替える走りを見せる。
2005年から3年連続で5区を任され、抜いた選手の数は計20人。当時の実況は「山の神」と表現し、以降、山上りのスペシャリストにはこの名称が定着するようになった。

箱根駅伝史上最大のV字回復、日体大が奮起の完全優勝

箱根駅伝史上最大のV字回復優勝は、2013年の日本体育大の往路・復路完全優勝だ。前年は最下位と不信を極めたチームのかじ取りは3年生の服部翔大選手に任された。4年生は最初こそ反発したものの、チームを崩壊させないために我慢を重ねて練習に明け暮れた結果、4年生抜きで果たした往路優勝の貯金を、復路で4年生3人がさらに広げる快走で総合優勝。
8区を走った高柳祐也選手は、体調不良で箱根に出られなかった同級生の福士優太朗選手のユニフォームを着て快走。ゴール後は監督、主将の次に福士選手が胴上げされ、学年を超えた絆の強さが感動を呼んだ。

まとめ

優勝候補さえもたったひとつのミスが致命的となり、たったひとつのきっかけで大躍進を遂げる。それが箱根駅伝のドラマであり醍醐味なのだろう。2017年はどのようなドラマが待っているのか、正月が待ちきれない。