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アーロン・ロジャース 憧れのチームとの戦いに臨む稀代のQB

2020 1/17 11:00末吉琢磨
パッカーズのアーロン・ロジャース
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Ⓒゲッティイメージズ

49ersの未来を決める2つの選択肢

2005年NFLドラフト会議。1巡1位指名権を持つチームは、前年わずか2勝しかあげられなかったサンフランシスコ・49ersだった。彼らはその指名権を未来のエースクオーターバック(QB)獲得のために行使するとみられ、その候補は2人に絞られていた。

1人はユタ大学のQBで、ランもパスもできるオールマイティーな選手として全米大学最優秀選手賞であるハイズマン賞の候補にもなったアレックス・スミス。

そしてもう1人は、サンフランシスコから車で北上すること3時間弱。同じカリフォルニア州にあるチコという小さな町に生まれ、サンフランシスコ近郊のカリフォルニア大学バークレー校に進学。所属するカンファレンス、PAC10でトップのパス成功率を記録し、地元のスターQBとなっていた生粋のカリフォルニアっ子、アーロン・ロジャースである。

幼少期の夢を叶えるはずだったドラフト会議

サンフランシスコ近郊に生まれ育ったロジャースは、49ersの大ファンだった。NBC Sportsの取材でロジャースはこう述べている。

「盛大なパーティーを開いて49ersが出場したスーパーボウルの試合を見ていたよ。5歳か6歳のときで、テレビの前に座り、ジョー・モンタナ(49ersの伝説的なQB)が歴史に残る大逆転を演出するのを見ていた。そのとき子供ながらに思ったんだ。ああ、こんなプレーをしてみたい、こんな風になりたいんだ、ってね。」

彼のその夢は2005年のドラフト会議において、もう手の届くところまで来ていた。大方のマスコミは49ersがロジャースを指名すると予想。チームの本拠地サンフランシスコ、その地元のスター選手なのだから当然といえば当然である。

当時49ersの攻撃コーディネーターを務めていたマイク・マッカーシー(※)と面談も行い、ロジャースは自身が49ersから指名を受けることを信じて疑わなかった。

※彼は後にグリーンベイ・パッカーズのヘッドコーチを務め、ロジャースと一時代を築くことになる。

こぼれ落ちた夢 そしてパッカーズへの入団

しかし49ersが指名したのはスミスだった。

当時のドラフト会議の映像を見ると、スミスの名前が呼ばれた瞬間、ロジャースは小さく息を吐きだし、静かに首を振っている。夢はその瞬間、彼の手からこぼれ落ちていったのだ。

その後多くのチームが彼を指名せず、結局24番目にパッカーズがロジャースを指名する。彼が思い描いていた夢のジャージの色は、黄金色から黄色へ、赤色から緑色へと変わっていた。

敵としてサンフランシスコのフィールドへ立つロジャース

パッカーズに入団したロジャースは、チームのレジェンドQBブレット・ファーブの後継者として期待され、その期待以上の存在となった。NFLで最も優れたQBの1人とみなされる程に成長し、夢の舞台だったスーパーボウルでも勝利を挙げた。

そして今年、ロジャース率いるパッカーズは49ersとNFCチャンピオンシップで対戦する。かつてそのユニフォームに袖を通すことを夢見た一人の49ersファンは、その思いを胸にしまい、憧れのチームの前に敵として立ちはだかる。

そのドラマの続きは今週末、49ersの本拠地リーバイス・スタジアムのフィールド上で見ることになるだろう。