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平成12年 シドニー五輪で「世紀の誤審」篠原銀【平成スポーツハイライト】

2018 12/22 07:00SPAIA編集部
篠原信一,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

史上4人目の世界選手権2階級制覇

日本のお家芸として金メダルが宿命づけられている柔道。平成12年のシドニーオリンピックでは軽量級から行われ、初日に男子60kg級の野村忠宏、女子48kg級の田村亮子が優勝、さらに男子81kg級の瀧本誠、男子100kg級の井上康生も金メダルを獲得した。最重量級である男子100kg超級の篠原信一は大トリでの登場だった。

190cmと長身の篠原は天理大学で素質開花。旭化成に進んだ平成7年には千葉で行われた世界選手権無差別級に出場し、銅メダルに輝いた。アトランタオリンピック代表は逃したものの、2年後にはパリでの世界選手権95kg超級に出場し、決勝進出。後にシドニーで対戦することになる地元フランスのドゥイエと対戦し、積極的に攻めたが逆に指導を取られ、最後は反則負けとなる不可解な敗戦を喫した。

シドニーの前年、平成11年には世界選手権バーミンガム大会で100kg超級と無差別級で優勝。11試合のうち10試合を一本勝ちする圧倒的な強さで、山下泰裕、小川直也、ドゥイエに続いて史上4人目の世界選手権2階級制覇を果たした。

内股すかしも判定は相手の有効

シドニーオリンピック男子100kg超級。世界選手権で2階級制覇して金メダル最有力候補と目された篠原は順当に勝ち上がった。決勝の相手はアトランタオリンピック金メダリストで、篠原もパリ世界選手権で敗れたドゥイエ。篠原は雪辱に燃え、昭和63年のソウルオリンピックで斉藤仁が優勝して以来、最重量級の金メダルを逃し続けている日本柔道界にとっても負けられない一戦だった。

序盤は組手争いに終始したが、開始から1分40秒頃にドゥイエが内股を仕掛けた瞬間、篠原は見事な内股すかしで背中から畳に叩きつけた。きれいに一本が決まった、かに見えた。

しかし、両手を挙げてガッツポーズする篠原を横目に、主審はドゥイエの有効と判定。副審の一人は篠原の一本と判定したものの、もう一人の副審が主審の判定を支持したためドゥイエに有効が与えられた。ショックを隠せない篠原はそのまま敗れ、ドゥイエの優勢勝ちとなった。

ビデオ判定導入のきっかけに

日本の選手団は猛抗議したが認められず、マスコミは「世紀の大誤審」と批判。篠原自身は言い訳しなかったが、これを機にビデオ判定が導入され、審判を補助するために審判委員を配置するジュリー制度が採用された。

篠原は平成15年に引退後、日本代表監督となるが、日本選手団を率いたロンドンオリンピックで日本男子史上初の金メダルなしに終わり辞任。現在はタレントとして活躍している。