幼少期から着々と力をつける
大野将平さんが柔道に出会ったのは7歳の時。お兄さんの影響で山口県の松美柔道スポーツ少年団に入団する。小学校卒業後には再びお兄さんを追って東京の講堂学舎へ入門。全国大会ではまだまだ上位に届かなかったが、練習から一切妥協をしない姿勢を見せ、着実に力をつけていく。
中学卒業後は、講堂学舎の進学先として指定されていた世田谷学園高校へと進学。2年の時にインターハイ優勝を果たし、念願の全国制覇を達成。小学校・中学校時代にはなかなか勝てなかった全国の場で、見事な活躍を見せるようになる。
初の世界選手権でオール一本勝ち
高校卒業後は天理大学へ進学。1年でフランス国際を制すると、2年の時には全日本ジュニア・世界ジュニアで立て続けに制覇。3年時には武道館杯で優勝を果たし、一躍トップ選手へ駆けあがっていく。
圧巻だったのは4年生の年。世界選手権の代表に選ばれると、何と6試合すべてで一本勝ちを収めて優勝。初の世界選手権で圧倒的な成績を残すのだ。さらに、世界柔道団体選手権でもオール一本勝ち。チーム内でケガ人が出たため、4人での戦いを強いられる苦しい展開だったのだが、それでも大野将平さんの活躍が光り3位に入賞することができた。
2度目の世界選手権は苦い思い出に
大学卒業後は旭化成へ入社。4月にいきなり全日本柔道選抜体重別選手権で優勝を果たし、期待に応える。しかし、2度目となった世界選手権では4回戦で敗退。オール一本勝ちで優勝を果たした前回大会から、大きく成績を落としてしまった。それでも、体重無差別の大会である全日本選手権では、73キロ級ながら100キロ級の選手を破るなど、技のキレにはますます磨きがかかっていく。
翌2015年、天理大学の大学院に入学し(旭化成を退社したわけではなく、両方に籍を置いた状態)、再び天理の環境での練習に打ち込むと、3年連続で世界選手権のメンバーに選出。前回の4回戦敗退の雪辱を晴らすべく、優勝にこだわって試合に臨む。
2年ぶりの世界選手権優勝
世界選手権では最初の3試合をすべて一本勝ちする上々の立ち上がり。準々決勝では有効3つを取って圧勝。一本勝ちではなかったが、勝ち方よりもまず勝つことへの執念を見せる。準決勝では先制でポイントを取るも、相手に大外返で技ありを取られ逆転される苦しい展開。しかし、気持ちを落ち着かせて冷静に対処すると、終盤に裏投げが決まり一本。2年ぶりのメダルを確定させた。
決勝の相手は同じく日本代表の中矢力選手。大学時代からのライバル的存在で、今回で通算4度目の対戦となる、絶対に負けられない相手だ。試合が動いたのは1分35秒、仕掛けてきた中矢選手に対し、右の大外刈を返す。相手も粘るが、そこにたたみかけるような小外刈。見事な技ありでポイントを奪取。その後は両者一進一退の展開が続いたが、最後はこの技ありのポイントで勝利をつかみ、2年ぶり2度目の優勝を達成した。
こだわり続けたオリンピックでの金メダル
2016年、満を持してリオデジャネイロオリンピックメンバーに選出される。前年の世界選手権後のインタビューで「オリンピックでは必ず金メダルを獲りたい」、代表決定時の会見でも「最低でも金」というように、オリンピックでの金メダルに並々ならぬこだわりを持っていた。2012年のロンドンオリンピックでは柔道競技史上初の金メダル無しに終わったこともあり、俄然気合が入る。
2回戦から登場し、いきなり横四方固で一本勝利を収めると、続く3回戦では内股で一本、準々決勝では腰車で技あり、準決勝でも巴投げで一本と順調に勝ち上がる。迎えた決勝の相手はアゼルバイジャンのルスタム・オルジョフ。同年2月の大会では内股の技ありで勝利した相手だ。相性の良さもあったのか、積極的に攻めていくと、1分44秒に内股で有効を取ってまずは先制。ここから相手の攻めも激しくなってくるものの、冷静にかわしていくと、3分15秒には小内巻込がきれいに決まり一本。ベイカー茉秋選手と共に、日本柔道に2大会ぶりの金メダルをもたらしたのだ。
まとめ
大野将平さんは幼少期から強かったというわけではなく、日々積み重ねた練習で、一歩一歩を着実に歩みながら強くなっていった柔道家なのだ。
東京オリンピックでは、ますます強くなった姿を見せてくれることに期待したい。