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名選手であり名監督!斉藤仁が柔道界に残した大きな功績

2017 1/30 21:11
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出典: http://mainichi.jp/

選手としてオリンピック2連覇を果たし、監督として数多くのメダリストを生み出した斉藤仁さん。 まさに名選手であり名監督である人物といえるだろう。 今回は彼が残した功績を振り返ってみたいと思う。

膝のケガを押してのオリンピック2連覇

まず紹介すべきなのは、1984年ロサンゼルスオリンピック、そして1988年ソウルオリンピックでの連覇だろう。
1983年の世界選手権を制し、選手として心身ともに充実した状態で迎えたロサンゼルスでは、圧倒的な強さを見せつけ、見事金メダルに輝いた。 右膝に爆弾を抱えながら迎えた1988年のソウル。実はこの大会、斉藤仁さんの出番が来るまで柔道競技での金メダルは0個だった。このままでは東京オリンピック以来続いていた金メダル獲得記録が途絶えてしまうという中、重圧をはねのけて見事に金メダルを獲得したのだ。
1987年の全日本選手権で右膝にケガをし、選手としては限界を迎えていたのではという周囲の声もあった。また、当時20歳だった小川直也さんを代表に推す声もあったという。それでも右膝に鍼を打ち、自身も「泥臭い」というほどの粘りのある柔道を見せ、見事獲得した金メダルだった。

山下泰裕とのライバル関係

また山下泰裕さんの話も欠かせない。最大で最高のライバルと認め合う関係であり、アトランタでは斉藤仁さんが95キロ級・山下泰裕さんが無差別級の代表としてともに金メダルを獲得した戦友でもあり、そして1983?85年の全日本柔道選手権大会において3年連続で優勝を争った因縁の相手でもある。
しかも、山下泰裕さんは1985年の大会当時、公式戦202連勝・大会8連覇という記録を継続中で、何としてもこの記録を止めたいところだった。迎えた1985年大会決勝、支釣込足を仕掛けてきた山下泰裕さんを空振りさせ、そのまま背中から倒しこむことに成功。いよいよ連勝がストップか、という惜しいところまでいったのだが、惜しくもこれがポイントとして認められず。結局203連勝と大会9連覇を目の前で許してしまう。
最終的な戦績は8戦8敗。一度も土をつけることはできなかったが、実力に圧倒的な差があったわけではない。しかし、お互いがお互いの実力を高めあう存在だったというのは確かだろう。斉藤仁さんのオリンピック2連覇、そして山下泰裕さんの203連勝も、お互いがいたからこその結果かもしれない。

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