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金メダルの重みが分かるオリンピック・男子柔道の名場面

2016 11/29 21:30
柔道
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出典 http://www.huffingtonpost.jp

日本のお家芸ともいわれる柔道。メダルを獲って当たり前と期待されがちな柔道だが、それは選手たちにとって果てしなく遠い道だ。 そこで今回は、オリンピックで金メダルを獲得するのがどんなに難しいのか伝わってくる男子柔道の名場面を5つ紹介する。

亡き母と共に表彰台へ・井上康生

舞台は2000年のシドニーオリンピック柔道男子100キロ級。井上康生選手は、それまですべて一本勝ちで決勝に進み、決勝ではカナダのニコラス・ギル選手を破って金メダルを獲得する。表彰台に立った井上選手は、服の下から前年に急死した母の遺影を取り出す。
しかし、オリンピックの表彰台には危険物を持ち込んではいけないルール。そのため、遺影のガラスが危険だとして事前に相談した関係者から止められていたのだ。金メダルを獲ったらオリンピックのメダルを楽しみにしていた母の遺影を持って一緒に立ちたいと考えていた井上選手。その想いを果たせたのは、誘導係の女性が「服の下に遺影を忍ばせて行きなさい。私は何も見てないわ」と機転を利かせたおかげだったのだ。

誤審で金メダルを逃した・篠原信一

2000年のシドニーオリンピック、柔道男子100キロ超級決勝でのドゥイエ選手との試合。今やテレビタレントとしても大活躍の篠原信一さんだが、彼を有名にさせた問題がこの試合で起こる。問題の発端はドゥイエ選手の内股に対して篠原選手が内股すかしで返したシーン。主審がドゥイエ選手の有効と判定したのに対して副審の一人は篠原選手の一本と判定。審判員は再協議を申し出るも、フランス語のわからなかった当時の山下泰裕監督が試合継続を許してしまう。
その後、追いついた篠原選手だったが、ドゥイエ選手が再び有効をとり決着。試合後に日本チームが抗議するも、審判が離れてしまっていたため認められず。これが誤審として日本中で問題になった。そして、この試合をきっかけとして、ビデオ判定が導入されることに。これに対して篠原選手は、「自分が弱いから負けただけ」という名言を残したのだ。

怪我を負いながらも金メダル・山下泰裕

山下泰裕選手にとって唯一の出場となった1984年のロサンゼルスオリンピック。2回戦のシュナーベル選手との試合中に右ふくらはぎに肉離れを起こしてしまう。周りに悟られないようにするも、明らかに様子がおかしい山下選手だったが、自分を鼓舞して決勝まで進む。
決勝はエジプトのラシュワン選手との試合。山下選手が怪我をしているとわかっていたのか、序盤から強気で攻めるラシュワン選手に対して、試合前に「寝技に持ち込んで勝つ方法もある」とアドバイスを受けていた山下選手。その言葉通り、ラシュワン選手の攻めを崩して横四方固めで勝利。 ブザーが鳴った瞬間、涙でくしゃくしゃになった顔で喜ぶ山下選手を観ると、これまでの辛さを感じ取ることができる。表彰台では山下選手を気遣いラシュワン選手が手を差し伸べるなど、名場面として語り継がれている。

屁の突っ張りにもならないと言わしめた・斉藤仁

1986年、ソウルオリンピックで95キロ超級に出場した斉藤仁選手。それまで1964年の東京オリンピックから連続で金メダルを獲得していた日本柔道。しかし、今大会では他の階級すべてで金メダルを逃す結果に。そんな状況下で最後に残されたのが斉藤選手だったのだ。そんなプレッシャーの中、斉藤選手は見事2連覇を達成し、今大会の柔道で唯一の金メダリストとなった。
そして舞台は変わり、2008年の北京オリンピック。100キロ超級で金メダルを獲得した石井慧選手は、試合後のコメントとして、「オリンピックのプレッシャーなんて斉藤先生のプレッシャーに比べたら、屁の突っ張りにもなりません」と語る。賛否両論巻き起こり、流行語にもなったが、当時の斉藤仁監督に対して敬意を表して生まれた言葉だったのだ。

オリンピック3連覇という偉業・野村忠宏

1996年のアトランタ、2000年のシドニーとオリンピック2連覇を達成してきた野村忠宏選手。柔道史上初となる同階級3連覇を目指して2004年のアテネオリンピックに臨んだ。2回戦、3回戦と得意の背負い投げで一本勝ち。準々決勝では開始24秒で勝利、準決勝でも開始23秒で一本勝ちと圧倒的な強さを見せつける。
そして、決勝はグルジアのケルギアニ選手との試合。背負い投げを警戒するケルギアニ選手に対して、野村選手はコツコツとポイントを積み重ねていき、見事勝利。この3連覇は柔道史上初としてだけでなく、全競技でアジア人初となる快挙、そして夏のオリンピックで日本が獲得した100個目の金メダルとして記念に残る試合となった。

まとめ

柔道が日本のお家芸と言われるからこそ生まれる重圧の中で、もがき苦しみながら戦い続ける選手たち。 そんな彼らの想いが伝わってくる名場面が語り継がれていき、今後も日本の柔道界が発展していけば嬉しいことだ。

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