生い立ちから柔道の才能を見出される
石川県金沢市出身の松本薫選手は、兄弟の影響を受けて柔道を始めることになった。男子選手を相手にしても堂々と闘うことができるなど、彼女の柔道の才能は幼少の頃から非常に高いものであった。 また、柔道の練習だけでなく、レスリングの練習も取り入れるなど、違った競技の要素も柔道に加えていくことで、さらに実力を伸ばしていったことでも知られている。そのレスリングに関しても全国大会に出場して入賞を果たすなど、格闘技はどれであっても強かった。
Ⓒゲッティイメージズ
試合での強さだけでなく、どことなくユーモラスな語り口で多くの人から注目され続けてきた松本薫選手。そんな松本選手の功績を振り返ってみよう。
石川県金沢市出身の松本薫選手は、兄弟の影響を受けて柔道を始めることになった。男子選手を相手にしても堂々と闘うことができるなど、彼女の柔道の才能は幼少の頃から非常に高いものであった。 また、柔道の練習だけでなく、レスリングの練習も取り入れるなど、違った競技の要素も柔道に加えていくことで、さらに実力を伸ばしていったことでも知られている。そのレスリングに関しても全国大会に出場して入賞を果たすなど、格闘技はどれであっても強かった。
松本薫選手は、高校生になると上京し、東京都の藤村女子高校に入学して練習に励むことになった。高校で順調に実績を積みあげてきた松本選手だったが、東京での生活に馴染むことができずに苦しむことになり、2年生の秋に一念発起して地元の金沢学院東高校に転校するという決断をしたのだ。 柔道では、規約により転校をすると1年間は大会に出場できないというリスクがあったものの、大会に出場できるようになってからは、全日本ジュニア、ドイツジュニア国際で優勝を果たすなどの活躍をした。
その後も順調に実力をつけてきた松本薫選手は、世界の強豪選手を相手に闘っていくことになる。2010年には国際大会7大会すべてに優勝するという素晴らしい快挙を達成。57kg級において敵がいないと言えるまでの活躍を果たし、名実ともに世界のトップ選手になったのだ。 高校時代には一度上京してから地元の高校に転校するという回り道をしてしまったものの、これだけの結果を残したということは、その時の決断が正しかったということを証明していると言える。
世界トップレベルであることを証明した松本薫選手は、2012年のロンドンオリンピックの57kg級日本代表に選出された。4年前の北京オリンピックの際は、実力を証明しながら、実績の積み上げが足りず選外となっただけに、満を持してという印象があった。 初のオリンピックの舞台でも物怖じしなかった松本選手は、順調に勝ち進むとそのまま優勝を果たし、初出場で金メダルの快挙を達成。石川県勢では初という点でも大きな注目を浴びた。
金メダリストになって以降も、2連覇に向けてしっかりと結果を残してきた松本薫選手は、2大会連続でオリンピックの代表に選出された。しかし、リオデジャネイロ大会では、準決勝で世界ランキング1位の強豪に敗れてしまい、2連覇の夢を絶たれてしまう。 結局、この大会では銅メダルという結果になってしまったが、悔しさを見せながらも、いつものユーモラスな語り口をやめることはなく、松本選手ここにありという印象を残してくれた。
松本薫選手は、これまでの実績が示す通り、実力だけでなくキャラクター面でも日本代表において大きな存在だ。 これからの日本の柔道界をより明るいものにしていってもらうためにも、彼女の今後の活動に期待したいところだ。