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引退の田中達也、ケガと闘い続けた背番号11へのオマージュ

2021 12/10 11:00中島雅淑
浦和時代の田中達也,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

抜群のスピードでJ1通算66ゴール

また一人、偉大な選手がスパイクを脱ぐ。J2アルビレックス新潟は4日、元日本代表FW田中達也が今季限りで現役を引退すると発表した。

特徴であるドリブルとスピードを生かし、多くのDFをきりきり舞いさせたワンダーボーイ。身長167センチの小柄な体格で20年を超えるプロキャリアを歩むことができたのは称賛に値するだろう。J1通算334試合66得点、J2通算55試合3得点。栄光と挫折を味わった波乱万丈のサッカー人生を振り返る。

山口県出身の田中は中学卒業後、セレクションを通過して名門帝京高に進学。1年時からレギュラーポジションをつかみ、特にそのドリブルはプロのスカウトからも注目を集めた。1年時に選手権準優勝など活躍を見せ、オファーを受けた複数のクラブの中から浦和レッズに加入したのが2001年だった。

当時のチームはJ1復帰初年度で、J1で戦っていく戦力を整備していく途上だった。その中で1年目からコンスタントに出場機会をつかんでいく。

しかも同年夏にはそれまでクラブの顔として活躍し、苦しいJ2時代もチームの中心選手として支え続けたMF小野伸二が、オランダ・フェイエノールトに移籍。日韓ワールドカップを翌年に控え、国内が高揚感に包まれる中、「新たなアイコンの出現」が求められ、田中はそれになりうる存在として成長曲線を描いた。

02年からは2年後のアテネ五輪を目指すU-21日本代表候補にも選出されるようになり、大久保嘉人、平山相太らと形成される攻撃の中核に据えられ、本大会まで主力として起用され続けた。アテネの地では惨敗に終わったものの、全3試合に出場し、貴重な世界大会の場を踏むことになった。

ケガに苦しみ出場機会減少

田中が真価を発揮し始めるようになるのは03年、ハンス・オフト監督が2年目のシーズンだろう。背番号を11に変更して臨んだこのシーズン、リーグ戦で初の2桁となる11得点とゴールを量産。そして、記憶にも記録にも残るあの名場面がやってくる。

ナビスコ杯で2年連続で決勝に進み、対戦相手は前年も苦杯をなめている鹿島。このゲームで圧勝し、チームに初のタイトルをもたらす原動力となった。MVPとニューヒーロー賞をダブル受賞し、小柄なスピードスターは自らの持つ武器でJリーグを席巻。まさにキャリアの絶頂期だった。

しかし、そのキャリアが暗転したのも長年苦しめられることになった怪我だった。05年10月の柏レイソル戦でDF土屋征夫のタックルを受け、右足首脱臼骨折の重傷。翌年までリハビリ生活を余儀なくされ、「怪我との戦い」は田中の宿命ともなってしまった感がある。

また、ビッグクラブの宿命とはいえ、自らのゴールで手繰り寄せた初タイトルはチームを一段階上のレベルへと押し上げた。

「常にタイトルを目指せる陣容の確保」が求められるようになり、ポジション争いはし烈に。すでにチームに在籍していたエメルソンは爆発的な得点力を見せおり、05年に退団したが、入れ替わるようにやって来たのはセレソンの経験があるワシントンと、過去にレバークーゼンに所属し、CLの舞台で活躍したこともあるロブソン・ポンテという2人の実力者だった。

巨大な戦力の確保の甲斐あってついに06年にはJリーグ王者になった浦和だったが、背番号11は徐々に出場機会を減らしていった。それは慢性的な腰や太ももの小さな故障により離脱を繰り返していたことも原因と言われている。

新潟では9年間で13得点

リーグ優勝を果たし、翌年にはACL制覇をも成し遂げたチームはしかし、その後は長い低迷期に入ってしまう。フィンケやエンゲルス、OBの堀孝史氏ら毎年のように監督の首をすげ変えて、ピッチの中よりピッチ外のお家騒動が恒例となってしまった。

当然、指揮官が固定されなければ戦術も陣容も猫の目のように変わることになる。浦和在籍晩年の田中達也という選手は、優勝という果実を手に入れ、理想を追求しすぎたチーム作りと現実とのギャップの犠牲になってしまったのではないだろうか。

12年に新たに就任したペトロビッチ監督の下、出場機会を完全に失い、愛するクラブとの別れは良好なものとは言えないまま訪れてしまった。

13年以降、新潟でプレーを続けたが、かつての輝きを思うと9年間でリーグ戦13得点とは寂しい数字だ。

アテネ五輪で戦った盟友とともに

こうして田中達也という選手のキャリアを振り返ってみると、怪我によってフットボール人生が狂ってしまう、その典型例を見たような気がする。華やかさだけでない、サッカー選手として現役を続けていくことのシビアさ、裏側の面を改めて思い知らされる。

ここでプレーしている男たちは特別な才能を持つ者ばかりだ。たとえ満足にピッチに立つことはできなくても、新潟の地で、日本代表戦士として戦ったその背中で後輩たちに多くのことを伝えることはできた。

サッカーが好きだからピッチに立ち続けた。その生き様には感動すら覚える。

偶然にも今季終了後には共にアテネ五輪で戦った浦和MF阿部勇樹、C大阪FW大久保嘉人ら多くの盟友が引退を発表した。1つの時代が終わったことを痛感させられるが、これも通過点だ。

喪失感の大きい長い冬の後には、必ず新世代が台頭する。春の訪れは来季のJリーグ開幕を知らせてくれる。その時まで今は歴戦の勇者たちにオマージュを捧げたい。

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