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プロレス界で有名なスタン・ハンセンさんについて解説します

2017 2/9 09:26
プロレスリング,ⒸShutterstock.com
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Photo by " Photoraidz"/Shutterstock.com

プロレスが好きな人なら誰でも知っているスタン・ハンセンさん。 スタン・ハンセンさんの生い立ちやプロレスにおける功績、引退後のことなどご紹介します。

スタン・ハンセンさんの生い立ち・その1

スタン・ハンセンさんはテキサス州にあるノックシティ出身のデンマーク系のアメリカ人です。ウエストテキサス州立大学を卒業した後は、プロのフットボールチームであるサンディエゴチャージーズ(ボルティモア・コルツ)に入団しました。
しかし、最終的には解雇されてしまい、解雇後は故郷で中学校の教師として過ごしていました。その頃に大学の先輩であるテリー・ファンクさんから声をかけてもらい、プロレスの世界へと入っていきました。

スタン・ハンセンさんの生い立ち・その2

1973年1月1日にアマリロ地区でプロレスラーとして正式にデビューしました。その後、フロリダ地区など転々と戦って着実にキャリアを積んだ後、ミッドサウス地区でフランク・グーディッシュさんとタッグを組んで活動していました。
1974年10月10日にはついにUSタッグ王座で初のタイトルを獲得しました。また、1976年にはWWWFに登場し、WWWFヘビー級王者であるブルーノ・サンマルチノ選手の首を骨折させてしまった事件で有名になりました。

スタン・ハンセンさんの生い立ち・その3

クラッシャーと呼ばれるようになったスタン・ハンセンさんは、アメリカでは対戦を拒まれるようになり、活躍の機会がずいぶん減ってしまいました。それをきっかけに日本へと出てきました。
日本での初対戦は1975年9月です。その時は「馬力だけのレスラー」と呼ばれていたそうです。サンマルチノ戦を終えた後、1977年1月にWWWFからの提携ルートとして新日本プロレスに初めて参戦しました。その後数々の試合をこなしていき、「ブレーキの壊れたダンプカー」や「不沈艦」と呼ばれました。

スタン・ハンセンさんがプロレスで残してきた功績

スタン・ハンセンさんが残してきたプロレスの功績をご紹介します。
「NWA北米ヘビー級王座」のトライステート版を2回獲得、「NWA USタッグ王座」を2回、「NWAテキサスのヘビー級王座」を1回、「NWAテキサスのタッグ王座」を1回、「NWAジョージアTV王座」を1回、「NWAコロンバスのヘビー級王座」を1回、「NWAジョージアのヘビー級王座」を2回、「NWAジョージアのタッグ王座」を3回、「NWA世界タッグ王座」を1回、インターナショナルヘビー級を1回、三冠ヘビー級を3回など、アメリカから日本まで幅広い試合でタイトルを獲得し続けました。

スタン・ハンセンさんの引退後

スタン・ハンセンさんはなぜ引退したのか? いくつかいわれがありますが、兄貴的な存在として仲良くしていたテリー・ファンクさんとタッグを組んだ時に「お前も年をとったな」と言われたことが、スタン・ハンセンさんに引退を決断させる一言になったといわれています。他の引退をする要因となったのが、日本でともにプロレス界を引っ張ってきたジャンボ鶴田さんの死も関係しているそうです。
引退したスタン・ハンセンさんは、今は専業主夫をしているそうですよ。

まとめ

アメリカでいろいろな功績を残し続けてきたスタン・ハンセンさんは、生い立ちも面白いものがありました。 生い立ちや実績などを知ることができると、その選手のことをもっと好きになりますよね。