泣き虫先生「スクール☆ウォーズ」のモデル
ラグビーのワールドカップ(W杯)フランス大会で、1980年代に高校ラグビーの実話を基に人気を博したテレビドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルになった「京都・伏見工高」の伝統を受け継ぐ日本代表選手がいる。
1次リーグの3試合でプレースキックを計16本蹴って15本成功させている29歳のSO松田力也だ。成功率は驚異の93.75%。2016年4月に学校統合で校名は京都工学院高に変更されたが、聖地・花園での全国制覇4度を誇る母校の「伏見工魂」は今も脈々と生き続けている。
伏見工高といえば「泣き虫先生」と呼ばれた熱血指導者、山口良治氏が非行や校内暴力が社会問題化していた荒れた学校で弱小チームを全国一に育て上げたことで知られる。元日本代表で監督も務めた名選手の故・平尾誠二らを擁した1980年度の全国高校大会で初優勝。その後は1992年度、2000年度、2005年度と頂点に立った。
伏見工高時代から日本代表育成を目的とした「ジュニア・ジャパン」に入った逸材の松田も2012年度の3年時は当時監督の高崎利明氏や総監督の山口良治氏らの熱血指導を受け、主将としてFBで全国8強入りと大活躍した1人だ。
「信は力なり」大八木淳史や田中史朗ら名選手も輩出
素早い展開ラグビーを伝統にする伏見工高は「ミスター・ラグビー」とも称された司令塔の平尾誠二を筆頭に、ロックの大八木淳史やFB細川隆弘、SH田中史朗ら歴代日本代表の名選手を輩出してきた。
根底に流れるのは泣き虫先生が植え付けた「信は力なり」という伝統の精神。「スクール☆ウォーズ」のドラマでも描かれたが、1975年春に0―112で花園(京都)に屈辱的な大敗を喫しながら、その1年後に反骨心で結束してリベンジし、歓喜の大泣きをする名場面がある。
大八木淳史は「ラグビー観が二つか三つ進んでいた」という平尾誠二と伏見工高、同志社大学のチームメートで、黄金期を築いた社会人の神戸製鋼時代もともにプレー。ラグビーの枠を超えた盟友でもあった。
田中史朗は中学まで無名に近い存在だったが、伏見工高時代の指導で鍛えられて急成長した1人。身長166センチと小柄ながら試合の流れを一瞬で変えるプレーは「ベビー・アサシン(小さな暗殺者)」とも称される。
攻撃の要であるSHでワールドカップ(W杯)には2011年大会から3大会連続出場し、自国開催の2019年大会は初のベスト8と歴史の扉を開く原動力になった。世界最高峰リーグ「スーパーラグビー」では日本人として初めてプレーした。
「伏見工」出身者で最後のW杯の可能性も
2006年1月、全国高校ラグビーの決勝で伏見工は桐蔭学園の大型FWに立ち向かい、低くて鋭いタックルと持ち味の速い展開力で5大会ぶり4度目の栄冠に輝いた。
そんな母校の伝統を忘れず、2019年日本大会でW杯初出場した松田力也だったが、4試合全て途中出場だった。その悔しさを4年間忘れることなく、2度目のW杯となった9月10日のチリ戦で初の先発出場を果たし、司令塔として攻撃を組み立てて6本のゴールキックも決めた。
松田は亡き父が元ラグビー選手で伏見工高監督の高崎利明氏と縁があった関係で、小学生の頃から同校の練習に参加したこともあったという。学校統合で校名が変更されたため、松田がW杯で闘う最後の「伏見工高」出身になる可能性もある。
1次リーグ突破かけて戦う10月8日(日本時間同日午後8時)のアルゼンチン戦のキーマン松田。数々の名選手がつないできた母校の伝統と歴史を胸に、W杯フランス大会は「恩返し」の舞台でもある。
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