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履正社退任の岡田龍生監督、変えた指導方法と根底にある東洋大姫路の根性野球

2021 11/14 06:00柏原誠
イメージ画像,ⒸmTaira/Shutterstock.com
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秋季大会後に新体制、来年4月から母校の監督に就任

夏の甲子園で履正社(大阪)を優勝に導いた岡田龍生監督(60)が11月4日、正式に退任を表明した。

来年3月まで学校に籍を置くが、履正社野球部は秋季大会後、実質の新体制に移っている。練習や練習試合でチームを率いているのは新監督に決まっている多田晃部長(43)だ。

岡田監督は来年4月から母校・東洋大姫路の監督に就任する。1987年に履正社の監督になり、35年。昭和の最後から、平成を経て、令和の最初まで。その指導者人生は文字通り「時代」との戦いだった。

謹慎処分が指導スタイル変える転機に

「今の生徒は…」が口癖になった。決してマイナスな意味合いではなく、過去と比較して、今の時代の子供たちの気質を意識した指導にあたっているからだ。かつては自他ともに認める鬼軍曹。当初、野球観のベースは高校時代にあった。

「東洋大姫路は超スパルタで、日本でも一、二の厳しさ。120%、上から言われて、いわゆる『やらされている』野球だった。でも、それで勝っていたので、こうやれば勝てるんだと思っていた。言葉は悪いけど、監督さんのロボットになっている野球だった」

笑って振り返るが、この話をするとき、必ずこう付け加える。

「でも、そういう時代だったんですよね」

初めて履正社を甲子園に導いた4年後には選手を殴ってしまい、半年間の謹慎処分を受けている。2001年のことだ。大きな転機になった。

「半年間考える時間がありましたから。高校の3年間、自分で考えて、自分でやろうとしていたかなあと。やっぱりやらされていたんですよね。それで、果たして野球が上手になったかなと考えていた」

年号が令和になり、野球人口減少に歯止めがかからない。こんな状況下でも、埃のかぶった自らの経験則に寄りかかって、野球観や指導スタイルを変えることのできない指導者はまだ多い。だが、岡田監督は変わった。変わらざるを得なかったと言うべきかもしれない。

選手との対話を増やし「やらせる」だけの指導はやめた。従来の守備を固めるスタイルに加え、科学的トレーニングを取り入れ、打力で勝てる野球を目指した。

謹慎から10年以上が経った2014年、2017年の春に甲子園で準優勝。そして2019年に夏の頂点を極めた。決勝では現阪神の井上広大が、星稜のエースで現ヤクルトの奥川恭伸から特大3ランを放った。新しい履正社野球の結実で、令和最初の甲子園チャンピオンに輝いた。

選手の性格を見極めて保護者面談ですり合わせ

名将の呼び声も定着してきたが、履正社は岡田監督がぐいぐい引っ張るチームではない。心がけてきたのは、生徒たちの気質だ。個々の性格を見極め、そこに合わせて指導のアプローチを考える。若いコーチ陣やトレーナーの意見にも耳を傾け、いいと思うものには迷わずGOを出す。

履正社に寮はなく、ほとんどが自宅からの通学。保護者と連絡をとり、グラウンド外の「戦力」として全面協力を仰いでいる。食事の報告も必須だ。親との面談では指導方針のすり合わせを欠かさない。

今では1学年30人ほどにまで選手が増えた。だが、一人一人に注ぐ視線は、年々細やかになっている。父親のような、という言葉がしっくりくる。

「甘やかしはだめ。世の中は厳しいですよ。楽なことばっかりじゃない。親もいつまでも面倒見てくれるわけじゃない。自立しないといけないんです」

退任会見で野球人生を振り返る中で、「変わった」部分ばかりがクローズアップされる流れになったのだが、そこに自ら棹さすような言葉が印象的だった。

「僕の今があるのは間違いなく東洋大姫路があるから。あの頃、教わったのは本当に昔ながらの気合と根性の野球。しかしながら僕は、勝負ごとには気合と根性も大事と思っているんですよ」

変えるものと、変えないものと。3つの時代を知るベテラン監督の次なる挑戦が楽しみだ。

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