「星野仙一記念館」11月末で閉館
中日、阪神、楽天の監督を務め、2018年に亡くなった星野仙一氏のゆかりの品々を紹介する岡山県・倉敷市の「星野仙一記念館」が11月末で閉館することとなった。
2008年に開館し、全国各地や海外から延べ50万人のファンが訪れるなど愛されてきたが、“闘将”の相談役で親交厚かった同館の館長・延原敏朗さん(80)は「(自分の)体調が思わしくなかったこともあり、もう体力的に続けることは限界と思った。それでも自分では14年間、ようやってきた。天国のあの人もそう褒めてくれるはず」と理由を明かした。
記念館に展示されたユニホーム、記念ボールなど1000点以上の思い出の品々は閉館後に倉敷市に寄贈されるとのこと。しかし、生まれ故郷にある記念館の閉館が決まっても星野氏という存在は決して色あせることはない。
V逸なら国外逃亡示唆した2003年
18年ぶりのリーグ制覇を決めた2003年の“星野フィーバー”はものすごかった。前年が4位と、まだダメ虎時代の余韻が残るこの年は監督就任2年目のシーズンだったが、フタを開けてみると開幕からチームは絶好調で7月8日にセ・リーグ史上最速となるマジック「49」が点灯。当時の世間、虎ファンらのはしゃぎぶりは今の比ではなかったが、同時に優勝を早々と“確信”された方の星野監督の重圧もまたハンパではなかった。
ナインや首脳陣には何度も「何が起こるかわからんから絶対に浮かれたらあかん」と戒めていた指揮官。スタンドでは虎ファンが星野監督の張りぼて人形を作って連日胴上げを決めるなど、その熱狂ぶりは日増しにヒートアップしていたが、相当追い込まれていたのだろう。マジック点灯後、チームが連敗したりするとこんなことまで口にした。
「ちょっとした油断とかで崩れていくのがこの世界や。もし、もしやで。オレが優勝逃したら何を言われるか。想像しただけでも恐ろしいわ。もし、できんかったらオレはもう国外に逃亡するしかないと思ってる。顔も名前も変えてな。ほんまやぞ!」
周囲とは真逆で、V逸の危機感でいっぱい。“闘将”“燃える男”など男っぽいイメージの星野監督だが、自分のことを「指名手配」の犯人のごとく語り、そしてトンズラする計画まで実行しようと考えていたのだ。
「浮かれたらダメ」親会社にもクギ
また、巷で早くも「優勝旅行」が話題になると激高した。「何が旅行だあ!この時期でフロントが『監督、優勝旅行の件で』なんて言ってきたらぶん殴ってやる!浮かれたらダメなのは本社オーナー、社長も皆同じなんやし、そう言ってある!最後の最後までオレはV旅行の話はしない!」と物騒にも鉄拳制裁まで予告したのだった。
この年は星野監督の高血圧など体調面も危惧されており、実際、7月27日の中日戦(ナゴヤドーム)では嘔吐ダウンした。精神的にも肉体的にもかなりきつかったのは事実だった。
強面の裏側には常に「何かあったら…」の超マイナス思考。しかし、星野監督はその危機感のまま、一方では選手を熱く鼓舞し、独走でリーグの頂点に立った。
それから18年後の今シーズン。“闘将”と同じように開幕から首位快走していた矢野燿大監督だったが、持ち前のプラス思考もむなしく、こちらは宿敵・巨人が勝手に失速しても昨年最下位のヤクルトに猛追され、最後は痛恨のV逸となった。
単純には比較できないが、2人の指揮官の「差」は何だったのか。天国にいる“闘将”に聞いてみたいが、それはもう叶わない。
《ライタープロフィール》
岩崎正範(いわさき・まさのり)京都生まれ。1992年から2021年6月まで東京スポーツ新聞社に勤務。プロ野球の阪神タイガースを中心に読売ジャイアンツ、オリックスバファローズ、ニューヨークヤンキースなどを取材。現在はフリーライター。
【関連記事】
・阪神とヤクルトの優勝争いに甦る1992年の記憶…命運分けた「幻の本塁打」
・阪神・佐藤輝明不振で同情論も、もっと大変だったドラ1鳥谷敬の裏話
・阪神時代の新庄剛志氏が引退宣言の前に横浜へトレード志願した理由